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2015年7月29日 (水)

《中学1年》 夏休み平和学習の様子 その2(卒業生のお話を聴く会)

第一期講習期間の午後、2日にわたって卒業生の方から戦争体験を伺う機会を持ちました。「身近な先輩から直接お話を聞きたい」と、100名を超える生徒が参加を希望しました。語られる体験の凄まじさに言葉を失いながらも、一言も聞き洩らすまいと真剣に耳を傾けました。

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<7月27日>
昭和26年3月に本校を卒業した3人の方は、戦時下の神奈川学園の様子を詳しく語ってくださいました。精華小学校の下の防空壕に入ると横浜駅周辺の様子がよく見えたために、防空壕に入るのを楽しみにしていた人もいたそうです。それでも5月29日の横浜大空襲の日はいつもと違っていました。

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辺り一面薄暗くなり、焼夷弾が学校の屋根に落ちた時、脚が震えて前に進まず、悲しいという気持ちさえ起きなかったそうです。創立者であり、当時の校長先生であった佐藤善治郎先生は生徒たちを集めて「焼けているのは校舎だ。本校の教育は焼けない。明日から復興にかかる」と励ましの言葉をかけて下さいました。その言葉に気持ちを奮い立たせたと卒業生の方々は教えて下さいました。

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空襲の翌日の市内には夥しい数の死体がありました。焼け跡を歩く時、焼け死んだ方たちの上にトタンを敷き、その上を歩いたそうです。生徒たちは75歳の校長先生が先頭に立って働いているのを目の当たりにし、怠けてはいけないと、文句ひとつ言わずに働きました。六角形の筒を拾って持ち帰ったらそれは焼夷弾で、父親に殴られたことや、黒焦げになった母親が赤ん坊を抱いていた姿を今でも思い出すなど、戦争が終わっても、忘れられない記憶となっていることも伝わってきました。

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ある卒業生の方は、手作りの地図を用いながら、正確に当時のことを伝えようとして下さいました。真っ暗になって夕立のように焼夷弾が降り注いだ時、母が父親のお位牌を持って防空壕に入り、その二人に守られたと思ったことや、玉音放送を聞いた時に、もう空襲がないと思ってホッとしたとも語ってくださいました。「また会おうね」と言って別れた友だちが、東京大空襲で亡くなったという体験を語って下さった方もいます。それぞれの方の言葉に戦争の理不尽さを思い、自分たちにできることは何かと生徒たちは考えました。

 

<7月28日>
『田奈の森』の著者と同級生だった卒業生の方からは、横浜大空襲当時の様子と、田奈部隊での勤労動員体験を伺いました。

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空襲時には学校にとどまっていたそうですが、翌日に自宅まで帰る時には、焼けて焦げ茶色の蝋人形のようになっている遺体を踏みながら帰るしかなかったそうです。それでも自宅に帰りつくと家族が無事なことが分かり、「生きていることがありがたい」としみじみと思われたそうです。母親が両手に火傷を負ったために家事の一切を引き受けたことや、田舎への疎開体験も語ってくださいました。

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田奈部隊では天秤を用いて火薬の量を計りました。ちっとも効率的ではなく、今では「虚しいことをさせられていた。絶対に戦争には勝てなかった」と思うそうですが、当時は少しでも軍の役に立つようにと一生懸命働いていました。「教育によって、戦争を応援する気持ちにさせられた。あなたたちは賢くならなければいけない」というメッセージを生徒たちは重く受け止めました。

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生徒からは「衣料品切符がなくなったらどうやって物資を手に入れたのですか」「何も着る物がなかったら、どうやって暮らしたのですか」などの質問も出されました。その一つ一つに丁寧に答えて下さいました。お話を聞く会が終わった後も、生徒たちは一人ひとり「今日はありがとうございました」と丁寧に挨拶をしていきました。その折り目正しい挨拶に、お話を聞けたことへの感謝が表れているように感じました。

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平和学習は「訪問活動」「体験を聞く」「戦争関連の新聞を読む」など多岐にわたります。全てを繋げて考え、自分の考えを持てるとよいです。