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2018年12月25日 (火)

《高校1年》 国内FW 水俣方面 -人間の尊厳を探究する旅―

「人間の尊厳」をテーマとした水俣方面のフィールドワークは11月7日~10日で行われました。事前学習で学んだことを大切に臨んだフィールドワーク。現地では豊かな出会いが待っていました。

 

<1日目:不知火海の豊かさを知り、杉本家に出会う>

熊本空港からまっすぐに水俣市に入りました。春のような暖かさを感じながら水俣川に沿って歩き、フィールドパートナーの吉永さんのお話を聞きます。水俣という地名の由来も学びました。その後エコパークで昼食を食べ、慰霊碑に黙とうを捧げるセレモニーを行いました。有機水銀が含まれたヘドロを埋め立てて護岸された場所に立ち、穏やかな不知火海を臨みながら、水俣病の苦しさは人間以外の生きものにも大きな影響を及ぼしたことを考えました。

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エコパークを後にして茂道に行き、杉本実さんの漁船に乗せていただきました。1時間ほどの船旅でしたが、海から海岸線を眺める体験で、水俣は海と山がとても近いことがよく分かります。海の中から真水が湧き出ている様子もよく分かり、「魚湧く海」と呼ばれた豊かさを間近で感じました。

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漁船を待つ間に磯でビナや蟹を探しました。岩の間に隠れている生きものを手に取ってじっくり観察します。ビナはたくさん採って茹でて食べたりもしていたそうです。海が身近にあるという生活を束の間味わった生徒たちです。

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宿泊は湯の鶴温泉のあさひ荘でした。宿舎に杉本肇さんに来ていただき、家族が水俣病で苦しんでいた時期のことや、ご自身が葛藤を抱えて水俣を離れていた時期のことを丁寧に話していただきました。講話の後半には肇さんのお母様である杉本栄子さんがもやい直しのために考案したハイヤ節を教わり、輪になって楽しく踊ることができました。

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<2日目:水俣病を学ぶ一日>

二日目は2コースに分かれて水俣病を学ぶ日でした。共通に訪れたのは水俣病資料館と百間排水口です。フィールドパートナーの方々から伺う話は、水俣病が起こった当時の状況を彷彿とさせるものばかりでした。

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Aコースは吉永理巳子さんに会ってお話を聞きました。ご自身のお父様が水俣病で苦しむ姿を見ながらも、吉永さん自身が語り出せるようになるまでに長い時間がかかったということを涙ながらに伝えて下さいました。自分が早く語り出していたら…という吉永さんの後悔にも似た思いをまっすぐに受け止めながらも、体も心も傷つける水俣病の辛さを思いました。

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午後に訪れたのはほっとはうすです。胎児性水俣病患者の方々が作業を通して社会に参加する場として、地域に位置づいてきた施設です。5名の胎児性患者の方が話してくださる言葉を真剣に聞き取ろうとし、歩んできた人生に思いを馳せました。

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Bコースは袋小学校を訪問しました。小学校5年生との交流では、水俣病を学んで堂々と発表をする小学生の姿に圧倒される思いでした。「水俣病はうつりません。正しく学ぶことが水俣病を伝えるために必要なことです」という小学生からのメッセージをきちんと受け止めたいと思った生徒たちです。事前に準備した横浜クイズや神奈川学園の紹介をした後に、ゲームで楽しく交流し、沢山の笑顔が見られました。

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久しぶりの給食を一緒に食べることで更に親しみが湧き、交流の時間が終わってしまう時には別れがたく、いつまでも手を振り合っていました。

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午後に遠見の家でお会いしたのは坂本しのぶさんです。付き添っている谷さんを介しながら、小学校の時に自分一人でバスに乗ろうとしたことや、できないと決めつけられて悔しい思いをしたこと、「いつでも走っているね」と言われて嬉しく思ったことなどを訥々と語ってくださいました。「水俣病は終わっていない。終わらせてはいけない」という言葉がしのぶさんの口から発せられた時、今まで感じたことのない重みを持ってその言葉が伝わりました。

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偶然同席した生駒秀夫さんからも、突然発症した水俣病に苦しんだ経験を伝えていただきました。就職の時に「水俣病患者には仕事はない」と言われた体験は、今でも生駒さんの心を傷つけていると感じました。生徒は受け取ったメッセージを忘れまいと気持ちを新たにしました。

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宿舎に帰ってから、山下善寛さんにお会いして、チッソに勤務し組合活動を通して「人として大切にするべきことは何か」を問い続けた闘いの経緯を伺いました。チッソが排水を止めなかったことが何をもたらしたのか、当時の様子を現在に引き付けて多くの生徒が考えました。山下さんのお話は、現代の企業や労働問題にもつながるだけでなく、水俣病に関する「責任」の所在を問いかけるもので、ずっと考えていく宿題を渡していただく講話でした。

 

<3日目:山で過ごし、その豊かさを味わう一日>

3日目も2コースに分かれてのプログラムでした。

Aコースは鹿児島県との県境にある石飛地区の天野茶屋を訪れました。一面に広がる茶畑でお茶の葉を摘んでみたり、囲炉裏を囲んで天野さんのお茶づくりの話をうかがったりしました。日常にこれほどゆっくりと流れる落ち着いた時間があるのだと知り、生徒の気持ちは柔らかくほどけていきました。

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美味しい郷土料理をいただいた後は外で野遊びを楽しみました。鹿児島県との県境まで登って記念撮影です。斜面を使ってダイゴロ遊びをする時には幼い時を思い出して、大笑いしながら楽しみました。

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Bコースは久木野地区の愛林館を訪れました。ここでは手作り豆腐と鴨鍋ならぬアヒル鍋を作りました。うどんを作るチームと豆腐作りのチームに分かれてそれぞれ丁寧に食事を作りました。目の前でアヒルが解体される様子を見ながら、生きていくために他の生きものの命をいただいていることが実感として分かりました。

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お腹いっぱいのお昼ご飯を楽しんだ後は棚田の里を散策しました。水源の森の湧き水の冷たさに歓声を上げ、なだらかな坂道を下ります。途中で草を食むヤギの親子と出会って記念写真を撮ったり、工夫して積み上げられている石垣の見事さに先人の知恵を感じたりしながらの散策となり、「豊かさとは何か」に思いを馳せる午後となりました。

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不知火海を臨む「海と夕やけ」に宿舎を移った三日目の夜は、シンガーソングライターの柏木敏治さんにコンサートを開いていただきました。水俣病患者やその家族の傍にいて気持ちに寄り添いながら曲を作ってきた柏木さんの歌声を聞きながら、歌詞の内容を現地での出会いに重ねて「声にならない声を聴く」体験をした生徒たちです。最後には『春の汽車は遅い方がいい』を全員で歌いました。

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<4日目:水俣の「これから」を考える一日>

最終日となる11月10日は現地フィールドワークのまとめとなる日でした。午前中は、相思社水俣病考証館を見学し、スタッフの永野三智さんにお話をしていただきました。相思社は坂を登ったところにあり、不知火海を臨む丘の上にあります。水俣病の相談に訪れる方はこの坂を上ってくるのだと思いながら歩きました。

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考証館は「水俣病を語るもの」の実物展示で構成されています。漁民が使っていた道具、患者に届いた嫌がらせのハガキ、デモに使ったゼッケン、水銀のヘドロなどが展示されています。静かな空間に水俣病の苦しさと複雑さ、怒りと悲しみが満ちているようでした。生徒たちはメモを取りながらも真剣な眼差しで展示品を見学していました。

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見学がひと段落したところで、永野さんは「何が一番印象に残りましたか」と問いかけながら、生徒の言葉を拾って解説をして下さいました。展示品の持つ背景が浮かび上がってくるようでした。その後、亡くなられた水俣病患者の位牌を祀っている仏間でお参りをしてから永野さんのお話を伺いました。相談を受けている時の思い、水俣病市民の中で水俣病がどのように受け止められているのかなど、永野さん自身の体験をくぐらせながら私たちにメッセージを伝えて下さいました。「水俣病の当事者は誰か」という問いが生徒一人ひとりの中に残るお話でした。

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昼食は福田農場でパエリアを作りました。彩り豊かなパエリアはとても美味しかったです。

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最後のプログラムはエコネット水俣訪問です。石鹸工場の見学をし、環境再生の取り組みの一環として石鹸を使う意味を教えていただきました。水俣病の教訓を忘れずに、生活の中でできることから始めていく、そしてその取り組みを継続する大切さを学ぶ機会となりました。

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様々な角度から「水俣病」を学び、メッセージを受け取って考えたフィールドワーク。生徒一人ひとりの心には水俣の自然の豊かさと人のあたたかさが刻まれました。日常に戻ってからも、水俣での学びを活かしていけるとよいです。