《高校1年》 総合 石山春平さん講演会
高校1年社会科では、「ハンセン病」について学んでいます。
10月29日、高校1年生の総合の時間に、シュガーホールにハンセン病回復者の石山春平さんをお招きして、お話をうかがいました。事前にお渡しした生徒からの質問のいくつかに答える形で、お話をして下さいました。
石山さんは、1936年(昭和11年)生まれで、現在83歳です。
小学校6年生で、ハンセン病と診断された時のことから話してくださいました。夏休み明けに登校した石山さんは、担任に「汚い病気」と教室から追い出されてとぼとぼと校庭を歩いて帰った・・・小学6年生の一学期で学校を追放されたことは、決して遠い記憶ではなく、石山さんの心に鮮明に刻まれていました。
1952年(昭和27年)16才で強制収容されて神山復生病院に入り、病が治ってからも、家に帰ることはできませんでした。
1968年(昭和43年)石山さんは、病院職員だった方との結婚を決意して社会復帰を果たしました。仕事のために運転免許証を取得しようとして、「第一級障がい者には取得の前例がない」と阻まれても、くじけずに障がい者に門戸を開けてほしいと何度も通い、とうとう第一級障がい者として神奈川県で初めて運転免許証をとったそうです。会社勤めをして、3人のお子さんを育てられました。
2001年(平成13年)のらい予防法違憲国家賠償訴訟を機に、石山さんはハンセン病回復者であることをカミングアウトして、以来、ハンセン病問題の啓発・講演会を行うとともに、川崎市身体障碍者協会のリーダーとしても活躍されています。
石山さんは、同じハンセン病回復者の方から、講演するのをやめてほしいと言われることもあるそうです。それでも講演するのは、「誰かが声を上げて、差別と偏見を消さねばならない。それが自分の使命だ」という信念があるからです。「信念を持って行動すればわかってもらえると信じている。」ともおっしゃいました。
石山さんは「偏見や差別は、個々の人間が自分の頭で判断すればなくなるもの」「人が言うから、ではなく自分で判断することが大事」と、繰り返しおっしゃいました。
講演の最後に、石山さんと握手をしてお別れしました。
今年の夏、ハンセン病家族訴訟で、初めて国による被害が家族にまで及んだということが認められ、国が控訴を断念して判決が確定することになりました。
私たちは、「社会構造による差別偏見」がどのように起こるのかを学び、そしてそのようなことが「自分のこと」として起きる可能性があること、また自分が起こしてしまう可能性があることを現実の問題として意識し、考え続けていきたいです。