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2021年5月17日 (月)

学校行事  創立記念日についての放送昼礼

 5月14日金曜日の昼休みに、創立記念日についての放送昼礼を全校で聞きました。及川校長先生のお話を紹介します。

 

 こんにちは。5月17日は、神奈川学園の創立記念日です。

 神奈川学園には、「3つの誕生日がある」というお話は、聞いたことがあったり、覚えている人も少なくないと思います。創立記念日に関する放送で、大石前校長先生も何度かお話ししてくださいました。

2021051501_3<横浜実科女学校として開校>

 1つめは1914年(大正3年)4月13日 神奈川学園の前身である『横浜実科女学校』が開校した日です。そこから数えて、今年は創立107年になりました。創立の地は、現在のこの沢渡ではなく、浦舟町の工場跡に仮校舎を建てての出発でした。当時の生徒は79人だったと言います。そのとき、校長の佐藤善治郎先生が掲げた創立の理念は「女子に自ら判断する力を与ふること」「女子に生活の力量を与ふること」の二つでした。「判断力」と「生活の力量」……「生活の力量」は現代でいえば「社会の中で生きていく力」ということになるかと思いますが、この二つは、現代にも通じる、大切な力ですね。

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<浦舟町の仮校舎>

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<生徒と共に、沢渡の校地を下見>

 2つめの誕生日は、4年後の1918年(大正7年)7月4日、この沢渡の地に本校舎を移した日です。校舎がまだ建つ前のこの土地を、生徒全員とともに下見に来た時の写真が残っています。善治郎先生が、「新しい土地を生徒に見せて一緒に喜びたい」と考えたからです。生徒とともに学校を作るということを、創立間もないころから大切にしてきたのですね。

 そして、3つ目の誕生日。それが、1947年(昭和22年)5月17日、現在の「創立記念日」です。この日は、戦争による空襲で焼け落ちてしまった校舎を再建することができ、「復興記念式典」が行われた日です。

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<再建して1年後の復興記念祭>

 この2年前、1945年(昭和20年)5月29日の朝、横浜大空襲がありました。その日、生徒たちが登校すると間もなく、空襲警報のサイレンが鳴り響いたそうです。生徒たちは全員、防空壕に入りました。しかし、防空壕の中にいても危険は間近に迫っていました。先生から「ここは危ないから、外へ逃げるように」という指示があり、裏山に逃げたそうです。生徒たちは全員無事でしたが、木造校舎はひとたまりもなく、すべて灰になってしまいました。

 この空襲で、善治郎先生は、校舎とともに自分自身の財産と住まいもすべてを失ってしまいました。でも、善治郎先生は、「燃えたのは校舎である。神奈川学園の教育は滅んでいない。」とおっしゃいました。すでに75歳だった善治郎先生ですが、復興の先頭に立つその姿に、多くの先生や生徒たちが励まされたということです。私は、当時のお話を何度か卒業生から伺っています。このお話は、歴史上の遠い過去の話ではなく、現在を私たちとともに生きている方の、現在につながる体験です。

 もし、「神奈川学園の教育は滅びない」という善治郎先生の信念がなかったら復興はありませんでしたし、今日の神奈川学園での私たちの出会いも、学びもありませんでした。だから、5月17日が創立記念日なのです。

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<横浜大空襲により全焼した校舎跡>

 

 最後に、今紹介したほかにも、善治郎先生は、私たちの心に響く言葉をいくつも残しています。その中に「人生の目的は、最善と思ふことを行ひて、世の役に立つにあり」という言葉があります。「社会の中の誰かのために何かができる人になる」ということです。

 コロナ禍の今にも通じる言葉です。私たち一人ひとりが自分の身を守るために最善を尽くすことが、他の人を、あるいは医療の最前線で活躍されている方など、社会を守ることにもつながります。善治郎先生の言葉は、常に今日的な意味を帯びています。その意味を改めてかみしめたいと思います。

 

 これで「創立記念日」のお話を終わります。