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2021年7月26日 (月)

中3社会 「若者から若者への手紙プロジェクト2021」に参加しました

  中学3年生の社会科では、1学期の前半に「現代史」を学びました。「15年戦争」に始まり、日本の「戦後」とアジアの「戦争」の対比的な学習、1990年代以降の歴史認識問題を真正面から取り上げる学習を行いました。そして、これらの学習の最後に、シベリア抑留体験を経験された、松本茂雄さんの体験を考える学習と、若者として戦争を体験した複数の方の証言を読み、現代の若者である生徒が、彼らに手紙を書くという取り組みを行いました。

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 この手紙を書く取り組みは、戦後70年の節目だった2015年に始まった「若者から若者への手紙1945←2015」プロジェクトへの参加というかたちで行いました。すでに多くの証言者の方々が亡くなってしまった今、生徒が書いた手紙は、プロジェクトを企画した右の本の著者の皆さんへ送られることになります。

 また、今回手紙を書くにあたって卒業生の山田夕凪さん(現在、旅行社勤務)が、昨年書いた手紙も紹介しました。本校での学びが、生き方にどうつながっているかを伝える内容でもあり、生徒の手紙とともに、一部分紹介いたします。

「若者から若者への手紙1945←2015」プロジェクトのチラシ

『若者から若者への手紙1945←2015』

写真/落合由利子 聞き書き/室田元美・北川直実

出版社/ころから 出版年/2015年

 

<中3生徒から清岡美知子さんへの手紙>

 

 清岡さんの話を読んで、すごく深い闇に連れていかれるような気がしました。私も清岡さんと同じ末っ子の甘えん坊で、私にも母と父と姉がいます。なので、清岡さんの話を見た時に自分自身と照らし合わせながら読みました。中でも一番私がショックだったのは、遺体になった家族と会ったら、その遺体が鼻血を出して、清岡さんがそれが家族だと分かり、泣きやむことができなかったところです。「張りつめていたものが一気に崩れてしまって、いつまでも泣きやむことができなかった」というのは、本当に心に残ったし、戦争がどれだけ憎いものかがよく分かる言葉だと思うんです。大好きな姉と父をなくしてしまって、もし母もいなかったら、私は自ら死を選んでいたと思います。母がいても一生立ち直ることはできないだろうし、きっと毎晩泣いているんだろうなと思います。

 私は、英語の授業で「カタリナ・ビット」というスケート選手の話を勉強しました。彼女は“Where have all the flowers gone”という反戦歌を選び、それを見事に表現して、私は泣きそうになりました。歌詞に「花はどこへ行った。少女たちがつんでいった。少女たちはどこへ行った。男たちに嫁ぎにいった。男たちはどこへいった。みんな兵隊にさせられた。兵隊はどこへいった。みんな死んで墓場へいった。墓場はどこへいった。花で覆われた」というもので、歌詞に何度も「いつになったら学ぶのか」と繰り返されていて「戦争というものは人びとに与えるものは何もなく、ただばからしいものだ」とカタリナが伝えているのを学習しました。私は、ただ戦争がなくなってほしい。そう思うことしかできなくて、実際に何をすれば本当に0(ゼロ)になるかが分からないので苦しいです。でも私一人、神奈川学園のみんなでさえ、できることって何だろうと考えても「みんなに事実を伝える」くらいの答えしか出てこなくて、自分が何をしたら良いのか、本当にわからないです。でも、やっぱり、今回のような素晴らしい授業のおかげで、私は清岡さんの体験をすぐそばで感じることができて、二度と(一度もやったことはないが)戦争に参加したくない。人を殺したくない。傷をつけたくない、とそう思うことができました。世界には私みたいな人もいれば、自国を守るために今日でさえ戦っている人もいます。何のために宗教があるのか、いまいちよく分かってないし、誰も他の国の人も助けようとはしません。それがなぜなのかもわからない。でもまだ戦争について心から「戦争は嫌だ。自分が死んでもやらない」と思える人は少ないといえるのではないでしょうか。「自分や家族が殺されるなら、相手を先に殺さなければ」と思うのが人間です。それは分かるけど、じゃあどうすれば互いに尊重し合えるのか。相手も人間だということが分かるのか。その答えを探しにいくために、私はこれからもそれを考えながら生きていこうと思いました。清岡さんの家族の死が無駄にならないように。同じ思いをする人を少しでも減らせるように。

 

 

<卒業生・山田夕凪さんから篠塚良雄さんへの手紙>

 

「戦争の記憶」といったとき、加害の側面を思い浮かべる人はどのくらいいるでしょうか。今の日本で、加害の証言を聞く機会というのは義務教育から高校、大学を経てもほとんどありません。それだけ語られにくく、伝承もされにくい内容であるだけに篠塚さんから語られる言葉の一つひとつがとても衝撃的でした。
 “すべてはお国のため”という軍国教育が徹底されるなか、なぜ疑問を持たなかったのか、抵抗するという選択肢が無かったのか尋ねることは野暮でしょう。情報の遮断と暴力的な強制性を以て、「疑問を持つ」という行為そのものを摘み取るところからそれは始まっていると思うからです。「部隊長は軍医だから、人殺しや殺し合いはしないだろう」と入隊した先で民間人の虐殺に関わることになるなんて、こんなに皮肉なことはないと、読みながら胸の詰まる思いでした。部隊で交わされていた何気ない会話や消毒薬の匂い、孵卵室から聞こえてくる音などの些細な描写からは、当時の情景がありありと思い浮かぶと同時に、そこに日常が広がっていたことを実感させられます。一人の人間としてではなく、国に奉仕する体制の一部として扱われる存在の耐え難い「軽さ」。この人命軽視のもとに行われたすさまじい残虐行為と、証言から垣間見える今となんら変わりないような日常のギャップに眩暈を覚えますが、これこそが戦争の実態を物語っているのではないでしょうか。私たちのよく知っている「日常」と「想像を超えた残虐性」の間には、はっきりとしたラインがあるわけではない。むしろそれらは絶えず連結していて、人々が物事を考えなくなれば簡単に変化しうるものなのだと。
(中略)

私は高校時代に修学旅行で沖縄や韓国を訪れ、それまでニュースの中でしか見聞きしていなかった社会問題、もしくは教えられてこなかった日本の加害の歴史を目の当たりにし、この歴史を日本社会は忘れてはならない、今後生きていくうえで、何かしらの方法で記憶の風化を止めなければならないと思いました。それから数年が経ち、今は旅行会社でフィールドワークをメインにした学習旅行を企画する仕事をしています。直接現地に行ったり、体験者のお話を聞いたりといった経験が誰かにとってはその後の人生を左右するひとつの要素になるのではないか、それがいつか社会を変える力に繋がっていくのではないかと信じながら手探りする日々です。
(後略)