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2021年12月10日 (金)

高2FW 岩手・宮城方面:震災の地で「本当の復興とは何か」を考え続けた四日間

11月8日から11日まで、高校2年生は国内フィールドワークに出かけました。一人ひとりが学びを深め、現代社会の諸問題に向き合う四日間を過ごしました。今回のブログでは岩手・宮城方面の学びを紹介します。

 

【1日目】 釜石-大槌町

 

 朝7時過ぎに東京駅に集合し、東北新幹線で岩手県の新花巻駅へ。新花巻駅に到着後、バスで沿岸部の釜石にある陸中海岸グランドホテルに向かい、昼食の海鮮丼をいただきました。一息ついてから、震災時に大きな被害を受けた大槌町を訪問しました。「おらが大槌夢広場」の神谷さんから、当時の大槌町の様子を詳しく聞きながら、旧町役場跡や、津波発生時に避難先となる高台まで実際に歩いてみました。役場のあった場所からは目と鼻の先にあるはずの海がどの方向にあるのかすぐにはわからず、当時そこに集まった町の方にとってもすぐに避難とはなりにくかった事情を察することができました。当時は3月で、寒く足元の悪い中、家にはお年寄りと未就学児しかいない状況で、高校生でも息を切らせながら登らなければならない高台への避難は、とてもハードルの高いものであったことも実感できました。最初に聞いた3~5mという津波情報を聞いてそれより高い防波堤に囲まれていたとしたら、果たして自分たちも「すぐに避難」という選択肢が取れていたかと考えると、とても怖いことです。

 次にバスに乗って、高い防潮堤を選択しなかった赤浜地区へ移動しました。移動中に見た14.6mの防潮堤は想像以上に圧迫感があり、津波の恐怖があっても低い防潮堤を希望する気持ちもよくわかりました。ただ、赤浜地区では大規模な盛り土工事が必要となり、時間がかかりすぎて住民の数も大きく減ってしまったなど、様々な問題があることもわかりました。

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 町の文化交流センターの会議室をお借りして、神谷さんから、震災当時の様子を詳しく聞きながら、ワークショップを受けました。5,6人のグループに分かれて、個人としての答え、グループとしての答えを出していくものでしたが、どれも明確な正解がわからない、でも実際に町の人が直面させられた難しい課題でした。事前学習で考えていた「防潮堤の高さをどうするか」「震災遺構を残すか」という課題もありましたが、実際に現地で14.6mの防潮堤を目にするまでは高い防潮堤を造るべきと考えていた人も、実物を見ることで認識を新たにしていました。どの課題も意見が割れましたが、それぞれが課題と向き合って自分事として考えて、真剣にディスカッションをしていました。

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【2日目】  三陸鉄道南リアス線―陸前高田市

 

 バスで釜石駅に向かい、三陸鉄道南リアス線(震災学習列車)で盛駅に向かいました。車内では、ガイドさん自身の体験談や、それぞれの湾の特徴や震災時のことについて車窓からの風景と当時の写真を用いて詳しくお話をしてくださいました。震災以前の家が残っているところと、津波に襲われてしまい流されてしまったところと、トンネル一つ抜けるだけでも大きな違いがあったことが見てとれました。トンネルと湾が交互に繰り返され、リアス式海岸の様子を実際に感じることができました。

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 昼食をはさみ、陸前高田市内を現地ガイドさんの案内で回りました。堤防の上を実際に歩いてその高さなどを実感する予定でしたが、低気圧の接近による強風と大雨でそれが叶わなかったのは残念でした。途中、震災遺構となっている気仙中学校に入ることができました。波の力によってコンクリート製の壁や柱が大きく捻じ曲げられている様子は、写真ではわからない迫力と恐ろしさでした。津波の浸水域を示す表示も情報として「〇mまで波が来た」と聞くだけではわかなかったことも、実際に校舎のはるか高い場所にその線が記されているのを見上げてみると、どれだけ高い波が来たのかということが実感できました。中学校の校舎内は津波で破壊しつくされてしまっているのに、黒板に残されていた文字を見ると、ごく普通に過ごしていた日常生活が突然奪われてしまったのだということも感じました。

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 陸前高田市コミュニティセンターへ移動し、市長の戸羽さんのお話をうかがうことができました。行政のトップから直接お話を聞ける機会はとても貴重で、「判断」と「決断」の違いや、ご自身が様々な局面で実際に「決断」した、犠牲者の出た市役所庁舎の解体、対称的に「奇跡の一本松」を多額のコストがかかるものでも保存としたことなど、きちんとした根拠をもって語ってくださいました。震災関連で国の縦割り行政の弊害や、「ノーマライゼーション」についてなど、他にも多岐に渡ってお話をしてくださいました。最後に生徒からの「今までに後悔した決断はありましたか」という質問に対する答えには、市長として職務にあたることの重さを痛感させられました。

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 夕食後はこの日の宿泊先である「ホテル観洋」の女将の阿部さんからのお話をうかがいました。ホテルは震災時に2階まで浸水しましたが、阿部さん先導のもと従業員と一緒に被災した方々を、マニュアルにとらわれず臨機応変に対応されたということでした。震災直後から宿泊客や地域の人を受け入れ、様々な工夫をこらしながら前に進んでいったこと、ホテルだけでなく、地域経済の活性化のためにも活動されていて、女性だからこそできること、強みになることを生かして人を引っ張っていく姿に心ひかれる生徒もたくさんいました。

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【3日目】 入谷八幡神社―南三陸町―気仙沼・リアスアーク美術館

 

 午前中は入谷八幡神社でのボランティア活動に従事しました。この研修では現地の方々から多くのお話をうかがい、生きていく上でとても大事なものを受け取るばかりだったので、自分たちが現地に返せることとして、普段あまり手にしない熊手や竹箒に悪戦苦闘しながら広大な境内を掃除しました。後日、神主さんからは「参拝された方から綺麗に掃除されていますね、とお褒めの言葉をいただきました」という嬉しい言葉を頂戴しました。掃除のあとは絵馬にそれぞれ願い事を書いてお参りをしました。

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 午後はバスに乗り、ホテル観洋のスタッフである伊藤さんの案内の元、南三陸の町をめぐりました。震災遺構である高野会館では当時チリ地震を経験したスタッフの機転で多くの人がそこにとどまり難を逃れたというお話を聞きました。そこに留まるか離れた高台を目指すか、自分たちならどうしただろうと、今回の研修では行く先々で「もし自分がその場にいたら」と考えるようになっていました。ニュース映像でも有名な南三陸防災庁舎跡も見に行きました。まわりはすっかり整備され、その公園の中に赤い鉄骨だけを残して立っている庁舎跡もまた、津波の恐ろしさを今に伝えていました。今もなお至る所で工事が進行中で、十年前の風景とはもちろん、いま目にしている風景もしばらくしたら全く違うものになっているでしょう。数年後にまたこの地を訪れる人が見る景色はどう変わっているのでしょうか。

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 この日の最後のプログラムは気仙沼にあるリアスアーク美術館です。初めに館長さんからのお話をうかがいましたが、「想定外、未曾有の災害とか千年に一度の震災などというが、そんなことはない」という言葉が耳に残っています。この地域は昔から何度も大津波に襲われているのに、その教訓が生かされていなかったことに何とも形容しがたい思いに囚われました。200点以上もの写真、150点以上の被災物それぞれに小さなコメントがつけられていて、ひとつひとつのモノに、それぞれ人の営みがあったのだなと思い知らされました。

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 夜は、翌日のプレゼンのために各グループでスライド作りをしました。それぞれ与えられた問いに対して、今回のフィールドワークを通じて学んだことを生かし、自分たちなりの答えを出していきます。出発前に考えていたことが、この研修中にいろいろなお話を聞く中で変化し、最初に出していた結論とは異なるものになったグループもあったようです。盛りだくさんの内容に、なかなかうまくまとめられず予定していた時間をオーバーしながら班で話し合いをしていました。

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【4日目】  さんさん商店街―荒浜小学校―プレゼン発表会

 

 いよいよ研修最終日です。まずはさんさん商店街に行き、その立ち上げに関わった阿部さんのお話をうかがいました。商店街がモノを売り買いする場というだけではなく、人々の再会の場として機能したお話や、独自のイベントを企画したり、常に新しい取り組みを模索したりと、震災からコロナ禍と多くの困難に立ち向かってこられたお話をうかがいました。お話の後は、それぞれ買い物と昼食の時間を取りました。海産物で埋め尽くされたキラキラ丼を食べたり、家で待つ家族のためにお土産を購入したり、思い思いに楽しんでいました。

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 バスで仙台に移動し、震災遺構の荒浜小学校を訪れました。2階まで浸水したものの3,4階は当時のままの姿を残していて、そのギャップに普段の生活を奪っていった津波の理不尽さを実感させられました。陸前高田や大槌では、その姿を見ると辛くなるという住民の声を選択して震災遺構を解体して、それはそれで納得できる答えだと感じていましたが、荒浜小学校は卒業生や地域住民が昔を懐かしむ場としてみんなが大事にしているというお話を聞いて、初日に考えた「震災遺構を保存するか解体するか」という問題の難しさを改めて感じました。ガイドさんが「普段は見せないのだけど」、と断りながら見せてくださった映像の中で見た、父親を津波で亡くした高校生くらいの若い女の子が「でもやっぱり海が好き」と言ったシーンがとても強く印象に残りました。

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 全行程の最後はメモリアル交流館でのプレゼン発表です。震災遺構、盛り土と防潮堤、地域経済と産業などについて全部で5つのグループに分かれてプレゼンを行いました。この4日間、様々なお話を聞いたり、体験をしたりしてきましたが、短い期間では消化しきれないほどの多くのことを学ぶことができました。

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 今回の研修を通して感じたことはたくさんありますが、どこに行ってもどなたのお話をうかがっても、みなさん口をそろえておっしゃっていたことは、「震災について学んでくれるのはうれしい。でもこの旅自体を精一杯楽しんでほしい」「私たちの経験を、何より自分がいま住んでいる場所に置き換えて、自分事として教訓としてほしい」「いま周りにいる家族や友人を大事にしてほしい」ということでした。「震災について学ぶ」ということは、まだ十年しか経っていないことでもあり、とても重いテーマを突きつけられるものでしたが、今回の旅の経験で気づいたことや学んだことがたくさんあり、とても有意義な時間になりました。