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2019年1月18日 (金)

《中学3年》 国際 ディジュリドゥ演奏会

中学3年生の「国際」の授業で、上野哲路さんの『ディジュリドゥ演奏会』がありました。

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ディジュリドゥは、オーストラリアの先住民アボリジニの伝統的な楽器で、世界最古の楽器ともいわれています。

白アリが食べて空洞になった木にペイントが施されています。

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上野さんは、カンガルーの曲、カメの曲、イルカの曲、西風、波など様々な曲を演奏してくださいました。

カンガルーが飛び跳ねていく様子や風が吹く様子が想像できる演奏でした。

生徒は、初めて聴くディジュリドゥの不思議な音色と、迫力のある演奏に聞き入っていました。

 

演奏の合間には、スライドやビデオを見せて、ディジュリドゥのこと、アボリジニのことについて説明してくださいました。

オーストラリアの文化に間近に触れる、貴重な体験となりました。

2019年1月17日 (木)

高校69回生 新成人を祝う会

114日成人の日に、「高校69回 新成人を祝う会」が行われました。

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成人式を終えて、晴れ着姿の卒業生が、「祝う会」会場のカフェテリアに集まり、華やかな、希望に満ちた笑顔がそろいました。

 

校長先生はじめ、旧担任団の先生方から、お祝いの言葉がありました。

学年の約9割の人達が参加して、旧交を温めた楽しい時間は、あっという間に過ぎてしまいました。

アンネ・フランクパネル展

ギャラリーで、アンネ・フランクパネル展がスタートしました。

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アンネ・フランクが、隠れ家で暮らさねばならなくなったのは、何故なのか?

ナチスドイツによるユダヤ人の迫害はどのようなものだったのか?

 

「アンネの日記」からわかる隠れ家の日常生活や、日々の思いを知ることができます。

是非、多くの生徒のみなさんに、見てもらいたいです。

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先週の金曜日に、中学一年生有志のお手伝いで、パネルを設置することができました。お手伝いのみなさん有難うございました。

 

アンネのバラ

カフェテリアの前に、「アンネのバラ」が植えられています。

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アンネのバラは、「アンネの日記」に感銘を受けた育種家ヒッポリテが、自分の作り出した交配種の中で一番美しいバラを「アンネの形見」として捧げたものです。アンネの父オットーの家の庭に植えられました。

 

神奈川学園のアンネのバラは、文化祭の学習で訪れた広島の『ホロコースト記念館』から、株分けされたものです。今は冬姿ですが、春には、淡いピンクのかかったイエローの花を咲かせます。

 

 

2019年1月15日 (火)

高大連携企画・映像制作ワークショップを受講しました

2019年1月13日(日)に東京工科大学八王子キャンパスにて、神奈川学園生向け特別講座「中高生にもできる映像制作ワークショップ:私も CG 映像作家になれる!」を実施しました。このワークショップは東京工科大学の高大連携企画のひとつで、メディア学部菊池司教授と菊池研究室の協力を得て実施され、今回は中学 1 年生から 3 年生まで計 8 名と教員 2 名が参加しました。

ワークショップでは、大河ドラマの背景や演出に大量にCGが使われていることなど、豊富な例とともに映像の仕組みや理論を中学生でも理解できるようにわかりやすく解説いただいたあと、ブルーバックによる実写撮影と CG 映像素材(背景画像や映像効果クリップなどを菊池研究室の学生さんが事前に制作してくれました)をクロマキー合成(映像の背景色を透明化して背景や映像効果と合成する手法)することにより、オリジナルの合成映像を制作するという課題に取り組みました。

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作業でわからないところは菊池研究室の学生さんがすぐサポートしてくださり、中学生でも安心して制作ができました。参加した中学生はもちろん、教員も大変楽しく初めての合成映像制作に取り組むことができました。

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Magiceffect_2画像をクリックすると動画が開きます Cimg46542  

この連携企画では今後、今回体験した映像制作をベースにして、映像や CG のさらなる理論的な部分の解説、およびデザイン的な要素の授業や、映像・CG 制作に必要となるソフトウェアの実習、映像コンテンツ制作に欠かすことのできない「プロジェクトマネージメント」に関する学習なども実施する予定です。

早い段階からこのような体験をすることで、身近な映像コンテンツがどのように作られているかを知るだけでなく、生徒自身が作り手や発信する側になれるということを学ぶことができました。また、学校で勉強する数学や理科、美術などすべての教科の学びは実際に自分が鑑賞しているアニメや、いつも遊んでいるゲーム作りにも活かされ、繋がっていきます。このようにクリエイティブな活動を通じて学校での学びの意味を実感することで、毎日の学習も少し違った気持ちで取り組むことができるようになることを願っています。

東京工科大学メディア学部ブログ記事へのリンク:菊池司教授によるワークショップレポート

2019年1月 9日 (水)

《広報室より》 第7回学校説明会 1月12日(土) 神奈川学園創立100周年記念ホール 10:30~12:00

第7回学校説明会のプログラムについてお知らせいたします。

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ぜひ足をお運びくださいますようお願いいたします。

 ■10:30~12:00 学校説明会プログラム

          会場:神奈川学園創立100周年記念ホール

(1)校長挨拶

(2)神奈川学園の教育

(3)入試問題算数の変更点について

(4)中学担任より学園生活について

(5)在校生から神奈川学園の生活について

(6)中学入試概要

 *なお、参加される方は予約が必要です。こちらより申し込みをお願い致します。
  申し込みをされた方は、「受付票」を印刷して、当日ご持参ください。
  スマートフォン等よりお申込みいただいた場合でも「受付票」を印刷するようお願い致します。
 *会終了後、ご希望の方には授業・施設案内をいたします。
 *「上履き」は必要ありません。

入試当日の時程と注意事項

入試当日の時程と注意事項は、こちらをご確認ください。

※本資料は先日行われた入試問題体験会で配布したものです。

2019年1月 8日 (火)

2018年度 3学期 始業式

1月8日に、3学期の始業式が行われました。校長先生から、お話がありました。

 

今日から3学期です。みなさん、冬休みは、どんな風に過ごしましたか? 新年には、「今年こそは」という目標を立てましたか? 3学期は学年のまとめであると同時に、新しい年度への助走期間でもあります。是非、それぞれに「今年こそは」と期するところをもって始めたいと思います。……

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上級生のみなさんは、この人を覚えていますか? これは、2017年11月27日に、この場所で講演して下さった安田菜津紀さんです。……その安田さんが、先月12月10日に、一冊の本を出しました。『あなたと、わたし』という詩集です。サヘル・ローズさんの詩と、安田さんの写真で構成されています。

 

3編だけ、紹介します。

最初の詩は、陸前高田市の奇跡の一本松。

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空がないている  地球が叫んでいる

誰も気づかない  それとも  気づかないフリ

泣いているのはアナタ  叫んでるのもアナタ

気づこう、  この声に。

モールス信号は今日も、  送られてきている。

ね、聞こえない?  ね、聞こえようとしてない?

ね。ね。ね。

 

2つ目は、シリア北部ロジャヴァの子どもたち。

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聞こえてる?

この声、アナタには、  きこえていますか?

生きているんだ、  ここで。

わたしは生きてる。

 

3つ目は、岩手県盛岡市。

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人生は悲しみの一滴から、  新たな生命を生み

山々は小さな岩から  うまれてくる

わたしはアナタの視線から、  生まれてきた。

 

この詩集を読んで、私は、詩を書いたサヘル・ローズという人を「もっと知りたい」と思いました。サヘルさんが自分の娘とほとんど同じ年で、同時代を生きていることも思いました。それで、10年前に彼女が書いた本を読みました。『戦場から女優へ』という本です。

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サヘルさんは、1985年、イランのクルディスタンの近くにある、国境に近い小さな町で、極貧の家庭に11人兄弟の末っ子として生まれました。イランイラク戦争の真っただ中です。

1980-1988 イランイラク戦争は、イラクがイランに攻め込んで始まりました。宗教的な対立と、ペルシャ湾の石油資源を巡る対立とを背景に始まった戦争です。1979年イラン革命が起きたことが引きがねになったと言われています。この時は、アメリカがイラクに軍事援助しました。この戦争に複雑な利害関係が絡んで、世界情勢を不安定にしました。

1988年8月20日国連安全保障理事会決議により、停戦の合意。にもかかわらず、サヘルの住む国境付近では、空爆が続いていまいた。

1989年2月下旬のある日、町がイラク軍の攻撃にあいました。「一瞬、何か大きな光と音を感じた……」サヘルは、崩れた町の瓦礫の下敷きになりました。空爆から4日目、ボランティアとして医療スタッフに加わっていた女性に発見されて、瓦礫の中から生還しました。4歳の時のことです。イラク軍の空爆によって町が全滅し、故郷の町は消滅しました。サヘルは瀕死の重傷を負い、家族を失いました。だから、自分が生まれた正確な日時も、本名も知りません。

背中には、大きな傷が残りました。

いままでどう生きてきたか、なぜ生きているのか、これからどう生きるのか―――、この背中の傷を見ることで自分の中の原点に返ることが出来るのです。この傷は、私にとって大切な拠り所であり、生きて行くうえでもっとも重要なもののひとつなのです。この傷をずっと失いたくない。(『戦場から女優へ』より)

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瓦礫の中からサヘルさんを救い出したボランティアの女性が、のちにサヘルの養母になったフローラです。この出会いがなかったら、現在のサヘル・ローズはありません。二人の運命を決める出会いになりました。フローラは、テヘランの上流階級で裕福な家庭に育ち、空爆のないテヘランで平穏な日々を過ごしていました。「一人暮らしのフローラのアパートは、お城のように美しかった」と書かれていました。大学4年生で心理学を専攻し、博士になることを目指していたのに、イランのイスラム革命によって大学が閉鎖されてしまっていました。学んだことを生かしたいと考えて参加した医療ボランティアでした。

フローラの側から見れば、サヘルを救出し、孤児になって自分を慕う彼女を「見捨てることが出来なかった」ことで、想像もしなかった苦難の人生を歩むことになってしまいました。

孤児院にいた5才のサヘルを引き取り、それが原因で、フローラは両親から勘当されてしまします。

1993年フローラは、日本の婚約者を頼って来日することにしました。8歳になっていたサヘルは、日本の小学校に入学しました。結局アパートから追い出されて、お金のないふたりは公園でのホームレス生活を経験します。

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このふたりの困窮を、見過ごすことが出来なかった人がいます。「第2のお母さんとの出会い」とサヘルは言っています。小学校の「給食のおばちゃん」が声をかけてくれたのです。おばちゃんは、事情を聞いて、フローラに就職と住む場所を紹介し、放課後はサヘルを自宅によんで、風呂と食事をふるまってくれました。大人になって、「どうして助けてくれたのか」と尋ねるサヘルに、おばちゃんはこう答えています。

「あのころ私は離婚していて、ひとりで娘を育てなければならなかったの。あなたたちを見て、とても人ごととは思えなかった。だから、どうしても何かをしてあげたいと思ったの」(p83)

 

「どこの誰かではなく、目の前の一人の子どもとして信じてくれた。信じてもらえると人は強くなれる」

おばちゃんに、信じてもらったことで、サヘルは強くなりました。

しかし、小6から中学では、過酷ないじめを受けました。きっかけは、サヘルのお誕生会でした。貧しいお母さんがやっと用意したささやかなケーキでした。

「サヘルの家の誕生日ケーキは半分のバナナオムレツだったよ」

「イランはいらん」「見るな、ばい菌」「こっち向くなよ!タオルが腐るだろう」

こんな風に書かれています。

「とにかくあのころは、イラン人はみんな悪いというイメージがあり、何かが起きると「イラン人のサヘルの仕業じゃないの」と疑われる…イラン人がみんな悪いという間違った考えは、同じ国の人間として絶対に許せなかったし、とても悲しかった。」

理科の実験のために、やっと用意したバラを男子に踏みつけられるようなこともあって、「私の心は、つぶされたバラのようにボロボロになりました。」と書いています。でも、フローラには一言も言いませんでした。

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サヘルの心に残るフローラの言葉です。

たった一度だけ、「二人で死ぬ?楽になる?」と手を取り合ったことがあるそうです。フローラが仕事を失い、サヘルが一人でいじめと戦っていたころです。

「でも、私は生きている理由、生かされている理由を知りたかった。何かがあるからこそ、私はこれまで生きることが出来たに違いない。その何かとは、いったい何なのか、私は知りたい。

 さらに、わたしを思いとどまらせたもう一つの理由は、母でした。見方を変えれば、私は彼女の人生をボロボロにしたのです。つらいからと言ってここで死んでしまえば、母にいい思いをしてもらうチャンスは永遠に失われます。・・・母には将来幸せになってもらわなければならないのです。」

フローラの言葉と、存在そのものがサヘルを支えたのです。

その後、サヘルは、園芸高校・大学に進学します。サヘルにきちんとした教育を受けさせたいというのが、博士になることをあきらめたフローラの強い望みであり、サヘルの意志だったからです。人との出会い、チャンスとの出会いの中で芸能界に入り、現在につながっていきます。

 

サヘルは、いじめの中で、本当の自分を封印して生きていたが、高校で変わった。と言っています。きっかけは、先生の言葉でした。

「いつもひとりね。どうして、自分からみんなに話しかけないの。・・・せっかくいいキャラクターを持っているのだから、それをもっと出しなさい。自分らしく生きなきゃだめよ。考えてもみなさい。世の中の全員があなたを好きになるということはありえないでしょう。たった3人でもあなたを好きになってくれる人が現れれば、それでいい」

 

家族も故郷も失って、たったひとり生かされている理由をずっと考えて生きていました。サヘルを支えたのは、先ほど紹介したフローラの言葉です。

「サヘル、あなたは空爆で両親を失い、孤児院で育ったけれど・・・一人だけ生き残ったということは、何か意味があるはず。自信を持ちなさい。」

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「たった一人の生き残りで孤児院育ちの私が、母に引き取られて日本に来て、いまこうして表現する側、伝える側の人間として仕事をしている―――私が生かされている理由はそこにあります。

たぶん私は、伝えるために行かされたのです。」

と考えるようになりました。

「・・・日本の若い人たちにも感じてもらいたい。戦争の慎の悲惨さを伝え、さらにその子どもたちが語り継ぐことで、やがて平和な世界が訪れると、私は信じています。」

とも書いています。

「戦争、孤児院、そういう体験をしている子供はたくさんいるけれども、それを伝えられる人間は少ない。自分の体験を正確に語ることで、救いの手を待っている子供に目を向けてほしい、手助けしてほしい。」と考えているのです。自分が女優として有名になることは、自分の声を多くの人に届けることにもつながると考えてもいます。

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この本の出版から10年がたちました。12月19日の神奈川新聞の記事です。藤沢市での講演会の記事です。10年たった今、サヘル・ローズは、自分の考えを実行しています。

 

また、別の記事によると、イランに児童養護施設をつくろうと考えているそうです。「今ある施設の多くは大人になって自立するための教育が不足している。テロリストが最も恐れる武器は「教育」。イランで再会した先生と一緒に学校をつくる計画を進めている」のだそうです。

この記事では、サヘルは「難民」についてこんな風に言っています。「例えば、現代社会で流れる『難民』のニュース。いろいろな報道をされ、いろいろな見方があるけれど、国を出たくて難民になっている人はそういない。逃げることでしか生きられない。一人一人がどうしてそうなったのか。その人の背景に目を向け、その人の声に耳を傾けてほしい」とあります。

 

私たちにできることは何でしょうか? まず、サヘル・ローズのように、どんなことがあっても置かれた場所で「自分らしく精一杯生きること」。そして詩にあったように「伝えようとする声」に気づくこと。その声に耳を傾け、自分が知ったことをさらに伝えていくこと、それが今、私と皆さんにできることだと思います。

2018年12月28日 (金)

《高校1年》 家庭科

2学期、高校1年生の家庭科では、食に関わる様々な問題を、社会的な視点を持って学び、レポートを各自まとめ、発表しました。調理実習では、学びの流れを受けて3回の実習を行いました。

 

<献立>

「豆腐作り」

国産有機大豆で手作り豆腐。

わかめのサラダを簡単ゆずドレッシングで頂きました。

卯の花・おからクッキーも作りました。

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「ウインナー作り」

ひき肉に香辛料・お好みでローズマリー・氷を加えてこね、ウインナーを作りました。

無農薬・無化学肥料で育てられた野菜を沢山使って、ポトフとサラダも作りました。

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「ピザ作り」

ファストフード?みたいなメニューも案外簡単に、美味しく作れます!というテーマで、国産小麦を使いピザとかぼちゃのスープを作りました。

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2018年度2学期 終業式

 12月22日に、100周年記念ホールで終業式が行われました。終業式では、教頭先生からお話がありました。

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 今日で2学期が終わります。

 来年は「平成」という元号が新しい元号に変わる、という意味では社会的に一つの節目と言える「2学期」かもしれません。また、みなさんが今受けている「教育」という側面だけを見ても大きく変わりつつある大学入試やその制度など、大きな節目にさしかかろうとしています。

 このように大きく変わっていく時代にあって、必要なのはどのようなことでしょうか。

 

 そのことを考えるうえで、一冊の本をご紹介しようと思います。

 『「ふつうのおんなの子」のちから』という本です。生命科学者の中村桂子さんという人が書いた本です。

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 「ふつうのおんなの子」って、何だろう?

 中村さんは、まず「ふつう」についてこんなふうに言います。

「『ふつう』も面倒な言葉です。変わり者はいけないのですかとか、障害者を排除することになりませんかとか、次々に問いただされそうです。そんなことではありません。ひとりひとりがあるがままを楽しむ、その生きかたを『ふつう』と考えるので、誰にでもふつうがあるのです。やたらに権力を求めたり、過剰な競争をしたり、差別意識が強かったり……そんなことなしに家族や友人や地域の人々など、日常接する人との毎日を大切にする生きかたです。そもそも生きものには、これが標準という規格はありません。どこを探しても、この人が人間の基準という人はいません。逆に考えると、ひとりひとりが人間の代表と言ってもよいわけです。

 これはとても大事なことです。私たちは機械に慣れているために、つい何にでも基準があり、そこからはずれたものは価値がないと考えがちです。自動車はどのお店で買ってもみんな同じ。しかも、それは設計図どおりの完璧で正常なものでなければなりません。

 でも、生きものは違います。ひとつひとつ、みんな違うものです。」

つまり人間の「ふつう」は「ぜんぶ違う」ということです。そう考えると、面白い定義ですね。

この後、筆者は、DNAについて触れます。私たちの細胞の中にあるDNAには、塩基と呼ばれる小さな分子が三十二億個も並んでいること、その三十二億個の分子の中には必ず「間違い」が含まれていること、つまりは私たちが存在するということはどこかにうまくいかないDNAを抱えているわけで、その意味では程度の大小はあれ、必ず人は障害を抱えていること、だから実は「正常」と「障害」という明確な区別があるわけではないということ、私たちは誰もが明日交通事故で大けがを負う可能性があるわけで、それをカバーしあうのは人間全体、社会全体であること。これらは、人間を「生きもの」として見ていくとおのずと生まれてくる見方であること……筆者はこういう見かたで生きることを「ふつう」と言っています。

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もう一つ、「おんなの子」も不思議と言えば不思議です。なぜ「男の子」でも「女の人」でもないのだろう? 

これはまあ、言ってみればレトリックなのですが、社会では大人になればなるほど「男らしく」とか「女らしく」とか「社会人らしく」とかいう規制が増えていきがちです。そして、社会からは「富」とか「名誉」とか「権力」とかが価値であるように言われます。

そういえば先日、2018年の「ジェンダーギャップ指数」が発表になりました。2017年、日本が何位だったか覚えていますか? 144か国中114位でした。今年は、少し順位が上がりました。149か国中、110位。……まあほとんど変わらなかったというほうが正しいのでしょうが、日本はまだまだ国際的にみると社会における男女平等が進んでいない、ということなのだと思います。そして、この「男性的な価値観」で運営されている社会に対して、そういう価値観から自由で、自分らしく生きている人の象徴として筆者は「おんなの子」という言葉を使っています。ですから、自分らしく生きていれば、「男の子」であっても、大人であっても「おんなの子」だと筆者は言います。

要するに社会の既成の価値観にとらわれずに、自分なりの考えを持ち、本質を見極めながら生きている人を、筆者は「ふつうのおんなの子」と呼んでいるわけです。

で、筆者はその「ふつうのおんなの子」の生き方の典型をさまざまな文学、中でも児童文学の中に、見出していきます。『赤毛のアン』や『あしながおじさん』『ハイジ』『モモ』果ては『堤中納言物語』まで紹介していくのですが、・・・・・・読書、とくに良い本を読むということは、いつの時代にも新たな発見があるものですね。

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ところで、「ふつうのおんなの子」という言い方で紹介しましたが、「ふつうのおんなの子」が「自分らしく、本質を見極めながら生きている人」とするならば、みなさんはこの2学期こうした人たちにたくさん出会ってきているはずです。

全校でお会いしたのは、図書委員講演会で来校してくださったお二人とも性別では「男性」ですが、先ほどの定義で言えば「ふつうのおんなの子」の生き方をしている人たちです。……「標準的」とは決して言えないでしょうが、自分の興味のあることをとことん突き詰める生き方そのものを、むしろ社会の方が認めた、というのが正しいのかもしれません。

お二人だけでなく、文化祭や秋に行われた各学年の行事の中でもみなさんは社会のさまざまな方にお会いをしました。その中でみなさんが「素敵な生き方だな」と思った方が、何人もいらっしゃったのではないでしょうか。それこそが社会の中の狭い「こうあるべき」という価値観にがんじがらめにならずに、自分が大切にしたいことを守りながら生きている方々――大人になっても、この本の言葉で言う「ふつうのおんなの子」であり続ける人なのではないかと思います。

そして、現代のように大きく時代が変化していく中にあって大切なのは、周囲の声に必要以上に左右されることなく、「自分らしく、本質を見極めながら生きていくこと」なのではないかと感じます。

 

さいごに、もう一度中村さんの言葉を紹介しましょう。

「拡大・成長を続けてきた人間の活動が、地球という有限の星では支えきれないほど大きくなったために、いわゆる地球環境問題が起きているのですが、社会の中心にいる人々は、それらは技術の力で解決すればよいと考え、ますますの経済成長によって富と権力を増大させようとしています。

このような社会からはずれる人は弱者と呼ばれ、病人・障害者・子ども・老人などが該当します。女性もそこに入っています。……子供でなかった人は、ひとりもいません。一生の間、一度も病気にかからない人もいないでしょう。今日、なにかの事故で障害を負わないとも限りません。老人も、年を重ねれば誰もがなるもので、そのために体に故障が出てくるのは避けられません。こう考えると、これらはすべての人の状態であり、強者と弱者、健常者と病人や障害者というように区別するものではないわけです。ましてや差別など、ありえません。……このことに気づいたのは、1964年の東京オリンピックの後、高度経済成長を求めて働き盛りの男性を中心とする社会となり、子どもはよい会社に入って大いに働くために、よい学校へ入ることを目的として勉強する存在になったときです。子どもは子どもとして生きることが大切なのに。そこでは働き終えた人も大切にされません。一生を大切にしたい。……年齢や性別にかかわらず、あらゆる人があらゆる時をいきいきと暮らす社会を思い描いて、教育・労働・家庭などのありかたを懸命に考えたことを思い出します。」

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今紹介した中で、勉強に触れた部分がありましたが、もちろん、ここで中村さんは「勉強すること」自体を否定しているわけではありません。そもそも中村さん自身、勉強して生命科学者者になったわけですから。むしろ、学ぶことをほんとうに突き詰めていくと、中村さんのような見方――人に対して優しく、自然や科学に対して謙虚になっていくのだなあ、と思います。自分なりに、「こういう生き方がしたい」「こういう社会を実現したい」と思って、そのために勉強することはまさに中村さんの言う「ふつうのおんなの子」の生きかたです。

現在の社会は「富と権力」が志向されると筆者は指摘していますが、そういう社会の不十分な部分を変えていくことのできる人こそ、「ふつうのおんなの子」ということになるでしょう。――つまり、みなさんです。

中村さんはこうしたことを1964年の「東京オリンピック」のころに考えた、と言っています。それから50年以上たち、しかし、社会の価値観が大きく変わったとは言えません。そして2020年には2度目の東京オリンピックが開かれます。この2度目のオリンピックをみなさんは見守ることになるでしょうし、中には関わる人もいるかもしれませんね。中村さんが問題意識をもった東京オリンピックから2度目のオリンピックがめぐってきて、そしてそれが何らかの契機になって社会が変わっていくとしたら、いえ、みなさんが変えていけるとしたらそれも素敵なことだと思います。そして、そういうことを実現するためには、社会のこと、社会の構造、世界の仕組み、問題点――そうした「本質」をしっかりと見抜く力が必要です。そこにこそ、学ぶことの本当の意味があります。

 

少し大きな話になりましたが、この秋みなさんは、「どう生きるか」「どういう社会を実現するか」という「生き方」を考えるヒントをたくさんの人からいただいたと思います。

これから始まる冬休み、ふだんよりは落ち着いて考える時間もあることでしょう。ぜひ、この2学期をゆっくりと振り返ってみてください。

高3の多くのみなさんは、もちろんこの冬休みはそれどころではないでしょう。でも、今、学んでいること、それ自身が、世界をよりよく変えていく礎になります。そして今日お話ししたことを、頭の隅っこにおいておいて、受験がひと段落したところでぜひもう一度考えてみてください。

それでは年末年始、慌しい期間に入りますが、健康に留意して、新年にまた元気な顔で登校してください。

 

 

 

 

最後に、活躍したクラブ・団体の報告がありました。

 

≪高校≫

高校書道

山田ののか 神奈川県高等学校教育書道コンクール 奨励賞

野原有夏  神奈川県高等学校教育書道コンクール 奨励賞

小泉真名  神奈川県高等学校教育書道コンクール 神奈川新聞社賞

 

書道部

岡村涼音  国際高校生選抜書展(書の甲子園) 入選

中須春佳  神奈川県高等学校書道展  優秀作品

古舘花   神奈川県高等学校書道展  特選

浅野万裕子 神奈川県高等学校書道展  特選

コーラス部  関東合唱コンクール 銀賞

高校バトントワリング部   バトントワリング関東大会 金賞を経て

              バトントワリング全国大会 銀賞

生物部  神奈川県高等学校理科部研究発表会  出場

高校新体操部  神奈川県高等学校新体操新人大会 女子団体  第4位

 

≪中学≫

中学卓球部  神奈川県私立中学校卓球大会 団体の部 準優勝

  坂本ひさぎ 神奈川県ジュニアオープン卓球大会 第3位

コーラス部  関東合唱コンクール 銀賞

中学バトントワリング部  バトントワリング神奈川県大会  出場

文芸部  三好真由  全国文芸サイエンスコンクール 旺文社赤尾義男記念賞(入選)

 

《高校1年》 国内FW 奈良・京都方面

《1日目》 遺跡から古代の生活を想像する旅

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 新横浜駅7:30に全員集合。8時過ぎの東海道新幹線で京都駅へ。さらに、近鉄特急に乗り換えて、橿原神宮駅に向かいました。車中で昼食の「京都 舞妓はん 特選弁当」をいただきつつ、さっそく古都の雰囲気を味わいました。

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 橿原神宮駅で奈良をガイドしてくださる山﨑さんと河野さんと合流しました。毎年お世話になっているベテランガイドさんです。はじめに「甘樫丘」に登り、飛鳥の全体を見渡しました。大和三山の香具山・畝傍山・耳成山もきれいに見ることができ、特徴的な形と名前を一生懸命覚えていました。

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 遺跡めぐりのはじめは「水落遺跡」です。これは中国の先進的な技術を取り入れた中大兄皇子(のちの天智天皇)が、水時計をつくった跡だと伝えられています。さっそくどんな水時計だったのかを想像してみました。次は、蘇我馬子の発願によって建てられた「飛鳥寺」に向かい、左右で表情の異なる「飛鳥大仏」を拝観しました。また、除夜の鐘で有名な鐘も、大きな音が出ないかと恐る恐るついてみました。

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 「亀形遺跡→酒船石→板葺宮跡→川原寺跡」と遺跡めぐりが続きました。これは一体何に使われていたのだろう、こんなに大きな石をどうやってこの山の中に運んだのだろう…と不思議な石造物に想像がかき立てられます。中でも最後に訪れた「石舞台古墳」は蘇我馬子の墓と伝えられていますが、「石舞台」という名称から、ここを舞台に音楽を奏でたり舞いが舞われたりしていたのだろうかと想像が膨らみました。

 

《2日目》 奈良の大寺院をめぐる旅

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 朝一番に訪れたのは「法隆寺」です。西院伽藍は最古の木造建築として知られており、回廊の柱や五重塔の細部まで丁寧に見学しました。また東院伽藍の「夢殿」にある救世観音立像は、長年秘仏だったものを明治初期に岡倉天心とフェノロサが発見したことでよく知られています。聖徳太子の姿とも伝えられるこの像が、幸運なことに特別に公開されていました。

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 次は、鑑真和上が開いた寺として知られる「唐招提寺」を訪れました。多くの苦難を経て盲目になりながらも来日を果たした鑑真和上に思いを馳せました。昼食は「たまゆら」で奈良の名物である柿の葉寿司の御膳をいただきました。その後は「平城宮跡」を訪れ、当時の都の大きさを体感することができました。

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 「東大寺」では、まず南大門の金剛力士像の迫力に驚かされました。とにかくあらゆるものが大きく、大仏殿の大きさ、そして中の大仏には圧倒させられるばかりでした。それらの大きさから当時の権力がとてつもなく強いものだっただろうと想像しました。神のお使いである鹿とふれ合う時間も設けられましたが、想像以上に大きく怖々と近づいていました。この日の最後は、藤原氏の氏寺である興福寺を訪れました。つい先日、中金堂が落慶されて話題になっている寺院ですが、国宝館では人気の高い阿修羅像を見ることができました。

 

《3日目》 京都で伝統文化を体験する旅

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 京都と言えばこちらというほど代名詞ともなっている、「金閣寺(鹿苑寺金閣)」を訪れました。9時の開門と同時に入りましたが、多くの観光客であふれていました。外国人観光客も多く、国際的な観光都市京都を象徴している風景でした。金閣寺の敷地は広く、後方の山も登り約1時間の散策となりました。

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 続いて、禅寺である大徳寺大仙院で座禅体験をしました。足を組むことから苦労しましたが、深い呼吸をしながら静寂の時を過ごしました。終了と同時に30分座禅をしていたことを告げられると、「あっという間だった」と驚きの声が次々と聞こえてきました。その後は、大和宗貴住職を囲んで、法話をうかがいました。また、大徳寺は臨済宗の寺院であることからお茶も有名で、抹茶をいただいてほっと一息つきました。この日の昼食は大徳寺内にある「泉仙」で精進料理をいただきました。こちらの料理は「鉄鉢料理」と言われ、全ての料理をいただくと器を一つにきれいに重ねることができます。

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 午後は、今年度新たに取り組んだ「京町家の再生と活用」を学ぶプログラムを体験しました。まず、「京都市景観まちづくりセンター」を訪れ、京都のまちづくりと京町家についてレクチャーを受けました。その後は、3つのグループに分かれて実際の京町家を訪れて様々な体験をしました。写真は「きっさこ和束」を訪れたグループの様子です。約100年前に建てられた京町家が空き家になっていたところを、カフェとしてリノベーションしたお店です。古き良き伝統を感じられる空間の中で、現代的な抹茶アートを体験しました。その他には、「奈良屋記念杉本家住宅」で学芸員の杉本歌子さんから京町家での豊かな生活の様子についてお話をうかがったり、造り酒屋を営む「キンシ正宗 堀野記念館」では桃の井の水を試飲させていただいたりしました。

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 夕食後はホテルで和菓子作り体験をしました。「京菓子司よし廣」の職人さんに丁寧に教えていただきながら、秋らしい柿といちょうを作りました。最後に職人さんの技を見せていただきましたが、和菓子のみかんが本物のように皮がむけたのには、大きな歓声が起りました。

 

《4日目》 古い時代の仏教、密教を知る旅

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 「天台宗総本山 比叡山延暦寺」を訪れました。この日は、長年お世話になっている名物ガイド名越さんと一緒にめぐりました。カーブのきつい山道をバスで登り終えると、眼下に琵琶湖が広がりました。延暦寺に到着するとあいにくの天気で想像以上の寒さでしたが、その分、今年は遅いと言われていた紅葉がきれいに見られました。「根本中堂」は修復工事中で建物の外観を見ることができませんでしたが、工事の足場から修復作業の様子が見られたのは貴重な体験でした。本来ならば東塔を見学した後に西塔まで足を運ぶ予定でしたが、悪天候のため急遽コースを変更し、市内の三十三間堂を訪れました。

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 午後は「東寺」の名で親しまれている真言宗の根本道場「教王護国寺」を訪れました。はじめに大日堂で法話をうかがい、身近な高校生の話から日常生活を見直すきっかけになりました。また境内をめぐり、立体曼荼羅で有名な講堂内は特別拝観の時期にあたり、通常は正面からしか拝観できない仏像を後方からも見ることができました。また、五重塔も特別拝観で初層の中をみることができ、貴重な体験となりました。

 

 4日間のプログラムは、どれも古き良き日本文化を感じられるものでした。事前に教室で学んでいたことも、現地を訪れると文化財がどのような空間の中に存在しているのかがわかります。そうした文化を私たちが体験できるのも、継承してきた人々がいたからこそのことです。日本の伝統文化をいかに継承し現代の私たちの生活に活かすのか、過去と現在とをつなげる壮大な歴史の時間軸の中に位置付くプログラムだったと振り返ることができます。