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学園日誌

2018年12月28日 (金)

《高校1年》 家庭科

2学期、高校1年生の家庭科では、食に関わる様々な問題を、社会的な視点を持って学び、レポートを各自まとめ、発表しました。調理実習では、学びの流れを受けて3回の実習を行いました。

 

<献立>

「豆腐作り」

国産有機大豆で手作り豆腐。

わかめのサラダを簡単ゆずドレッシングで頂きました。

卯の花・おからクッキーも作りました。

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「ウインナー作り」

ひき肉に香辛料・お好みでローズマリー・氷を加えてこね、ウインナーを作りました。

無農薬・無化学肥料で育てられた野菜を沢山使って、ポトフとサラダも作りました。

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「ピザ作り」

ファストフード?みたいなメニューも案外簡単に、美味しく作れます!というテーマで、国産小麦を使いピザとかぼちゃのスープを作りました。

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2018年度2学期 終業式

 12月22日に、100周年記念ホールで終業式が行われました。終業式では、教頭先生からお話がありました。

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 今日で2学期が終わります。

 来年は「平成」という元号が新しい元号に変わる、という意味では社会的に一つの節目と言える「2学期」かもしれません。また、みなさんが今受けている「教育」という側面だけを見ても大きく変わりつつある大学入試やその制度など、大きな節目にさしかかろうとしています。

 このように大きく変わっていく時代にあって、必要なのはどのようなことでしょうか。

 

 そのことを考えるうえで、一冊の本をご紹介しようと思います。

 『「ふつうのおんなの子」のちから』という本です。生命科学者の中村桂子さんという人が書いた本です。

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 「ふつうのおんなの子」って、何だろう?

 中村さんは、まず「ふつう」についてこんなふうに言います。

「『ふつう』も面倒な言葉です。変わり者はいけないのですかとか、障害者を排除することになりませんかとか、次々に問いただされそうです。そんなことではありません。ひとりひとりがあるがままを楽しむ、その生きかたを『ふつう』と考えるので、誰にでもふつうがあるのです。やたらに権力を求めたり、過剰な競争をしたり、差別意識が強かったり……そんなことなしに家族や友人や地域の人々など、日常接する人との毎日を大切にする生きかたです。そもそも生きものには、これが標準という規格はありません。どこを探しても、この人が人間の基準という人はいません。逆に考えると、ひとりひとりが人間の代表と言ってもよいわけです。

 これはとても大事なことです。私たちは機械に慣れているために、つい何にでも基準があり、そこからはずれたものは価値がないと考えがちです。自動車はどのお店で買ってもみんな同じ。しかも、それは設計図どおりの完璧で正常なものでなければなりません。

 でも、生きものは違います。ひとつひとつ、みんな違うものです。」

つまり人間の「ふつう」は「ぜんぶ違う」ということです。そう考えると、面白い定義ですね。

この後、筆者は、DNAについて触れます。私たちの細胞の中にあるDNAには、塩基と呼ばれる小さな分子が三十二億個も並んでいること、その三十二億個の分子の中には必ず「間違い」が含まれていること、つまりは私たちが存在するということはどこかにうまくいかないDNAを抱えているわけで、その意味では程度の大小はあれ、必ず人は障害を抱えていること、だから実は「正常」と「障害」という明確な区別があるわけではないということ、私たちは誰もが明日交通事故で大けがを負う可能性があるわけで、それをカバーしあうのは人間全体、社会全体であること。これらは、人間を「生きもの」として見ていくとおのずと生まれてくる見方であること……筆者はこういう見かたで生きることを「ふつう」と言っています。

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もう一つ、「おんなの子」も不思議と言えば不思議です。なぜ「男の子」でも「女の人」でもないのだろう? 

これはまあ、言ってみればレトリックなのですが、社会では大人になればなるほど「男らしく」とか「女らしく」とか「社会人らしく」とかいう規制が増えていきがちです。そして、社会からは「富」とか「名誉」とか「権力」とかが価値であるように言われます。

そういえば先日、2018年の「ジェンダーギャップ指数」が発表になりました。2017年、日本が何位だったか覚えていますか? 144か国中114位でした。今年は、少し順位が上がりました。149か国中、110位。……まあほとんど変わらなかったというほうが正しいのでしょうが、日本はまだまだ国際的にみると社会における男女平等が進んでいない、ということなのだと思います。そして、この「男性的な価値観」で運営されている社会に対して、そういう価値観から自由で、自分らしく生きている人の象徴として筆者は「おんなの子」という言葉を使っています。ですから、自分らしく生きていれば、「男の子」であっても、大人であっても「おんなの子」だと筆者は言います。

要するに社会の既成の価値観にとらわれずに、自分なりの考えを持ち、本質を見極めながら生きている人を、筆者は「ふつうのおんなの子」と呼んでいるわけです。

で、筆者はその「ふつうのおんなの子」の生き方の典型をさまざまな文学、中でも児童文学の中に、見出していきます。『赤毛のアン』や『あしながおじさん』『ハイジ』『モモ』果ては『堤中納言物語』まで紹介していくのですが、・・・・・・読書、とくに良い本を読むということは、いつの時代にも新たな発見があるものですね。

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ところで、「ふつうのおんなの子」という言い方で紹介しましたが、「ふつうのおんなの子」が「自分らしく、本質を見極めながら生きている人」とするならば、みなさんはこの2学期こうした人たちにたくさん出会ってきているはずです。

全校でお会いしたのは、図書委員講演会で来校してくださったお二人とも性別では「男性」ですが、先ほどの定義で言えば「ふつうのおんなの子」の生き方をしている人たちです。……「標準的」とは決して言えないでしょうが、自分の興味のあることをとことん突き詰める生き方そのものを、むしろ社会の方が認めた、というのが正しいのかもしれません。

お二人だけでなく、文化祭や秋に行われた各学年の行事の中でもみなさんは社会のさまざまな方にお会いをしました。その中でみなさんが「素敵な生き方だな」と思った方が、何人もいらっしゃったのではないでしょうか。それこそが社会の中の狭い「こうあるべき」という価値観にがんじがらめにならずに、自分が大切にしたいことを守りながら生きている方々――大人になっても、この本の言葉で言う「ふつうのおんなの子」であり続ける人なのではないかと思います。

そして、現代のように大きく時代が変化していく中にあって大切なのは、周囲の声に必要以上に左右されることなく、「自分らしく、本質を見極めながら生きていくこと」なのではないかと感じます。

 

さいごに、もう一度中村さんの言葉を紹介しましょう。

「拡大・成長を続けてきた人間の活動が、地球という有限の星では支えきれないほど大きくなったために、いわゆる地球環境問題が起きているのですが、社会の中心にいる人々は、それらは技術の力で解決すればよいと考え、ますますの経済成長によって富と権力を増大させようとしています。

このような社会からはずれる人は弱者と呼ばれ、病人・障害者・子ども・老人などが該当します。女性もそこに入っています。……子供でなかった人は、ひとりもいません。一生の間、一度も病気にかからない人もいないでしょう。今日、なにかの事故で障害を負わないとも限りません。老人も、年を重ねれば誰もがなるもので、そのために体に故障が出てくるのは避けられません。こう考えると、これらはすべての人の状態であり、強者と弱者、健常者と病人や障害者というように区別するものではないわけです。ましてや差別など、ありえません。……このことに気づいたのは、1964年の東京オリンピックの後、高度経済成長を求めて働き盛りの男性を中心とする社会となり、子どもはよい会社に入って大いに働くために、よい学校へ入ることを目的として勉強する存在になったときです。子どもは子どもとして生きることが大切なのに。そこでは働き終えた人も大切にされません。一生を大切にしたい。……年齢や性別にかかわらず、あらゆる人があらゆる時をいきいきと暮らす社会を思い描いて、教育・労働・家庭などのありかたを懸命に考えたことを思い出します。」

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今紹介した中で、勉強に触れた部分がありましたが、もちろん、ここで中村さんは「勉強すること」自体を否定しているわけではありません。そもそも中村さん自身、勉強して生命科学者者になったわけですから。むしろ、学ぶことをほんとうに突き詰めていくと、中村さんのような見方――人に対して優しく、自然や科学に対して謙虚になっていくのだなあ、と思います。自分なりに、「こういう生き方がしたい」「こういう社会を実現したい」と思って、そのために勉強することはまさに中村さんの言う「ふつうのおんなの子」の生きかたです。

現在の社会は「富と権力」が志向されると筆者は指摘していますが、そういう社会の不十分な部分を変えていくことのできる人こそ、「ふつうのおんなの子」ということになるでしょう。――つまり、みなさんです。

中村さんはこうしたことを1964年の「東京オリンピック」のころに考えた、と言っています。それから50年以上たち、しかし、社会の価値観が大きく変わったとは言えません。そして2020年には2度目の東京オリンピックが開かれます。この2度目のオリンピックをみなさんは見守ることになるでしょうし、中には関わる人もいるかもしれませんね。中村さんが問題意識をもった東京オリンピックから2度目のオリンピックがめぐってきて、そしてそれが何らかの契機になって社会が変わっていくとしたら、いえ、みなさんが変えていけるとしたらそれも素敵なことだと思います。そして、そういうことを実現するためには、社会のこと、社会の構造、世界の仕組み、問題点――そうした「本質」をしっかりと見抜く力が必要です。そこにこそ、学ぶことの本当の意味があります。

 

少し大きな話になりましたが、この秋みなさんは、「どう生きるか」「どういう社会を実現するか」という「生き方」を考えるヒントをたくさんの人からいただいたと思います。

これから始まる冬休み、ふだんよりは落ち着いて考える時間もあることでしょう。ぜひ、この2学期をゆっくりと振り返ってみてください。

高3の多くのみなさんは、もちろんこの冬休みはそれどころではないでしょう。でも、今、学んでいること、それ自身が、世界をよりよく変えていく礎になります。そして今日お話ししたことを、頭の隅っこにおいておいて、受験がひと段落したところでぜひもう一度考えてみてください。

それでは年末年始、慌しい期間に入りますが、健康に留意して、新年にまた元気な顔で登校してください。

 

 

 

 

最後に、活躍したクラブ・団体の報告がありました。

 

≪高校≫

高校書道

山田ののか 神奈川県高等学校教育書道コンクール 奨励賞

野原有夏  神奈川県高等学校教育書道コンクール 奨励賞

小泉真名  神奈川県高等学校教育書道コンクール 神奈川新聞社賞

 

書道部

岡村涼音  国際高校生選抜書展(書の甲子園) 入選

中須春佳  神奈川県高等学校書道展  優秀作品

古舘花   神奈川県高等学校書道展  特選

浅野万裕子 神奈川県高等学校書道展  特選

コーラス部  関東合唱コンクール 銀賞

高校バトントワリング部   バトントワリング関東大会 金賞を経て

              バトントワリング全国大会 銀賞

生物部  神奈川県高等学校理科部研究発表会  出場

高校新体操部  神奈川県高等学校新体操新人大会 女子団体  第4位

 

≪中学≫

中学卓球部  神奈川県私立中学校卓球大会 団体の部 準優勝

  坂本ひさぎ 神奈川県ジュニアオープン卓球大会 第3位

コーラス部  関東合唱コンクール 銀賞

中学バトントワリング部  バトントワリング神奈川県大会  出場

文芸部  三好真由  全国文芸サイエンスコンクール 旺文社赤尾義男記念賞(入選)

 

《高校1年》 国内FW 奈良・京都方面

《1日目》 遺跡から古代の生活を想像する旅

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 新横浜駅7:30に全員集合。8時過ぎの東海道新幹線で京都駅へ。さらに、近鉄特急に乗り換えて、橿原神宮駅に向かいました。車中で昼食の「京都 舞妓はん 特選弁当」をいただきつつ、さっそく古都の雰囲気を味わいました。

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 橿原神宮駅で奈良をガイドしてくださる山﨑さんと河野さんと合流しました。毎年お世話になっているベテランガイドさんです。はじめに「甘樫丘」に登り、飛鳥の全体を見渡しました。大和三山の香具山・畝傍山・耳成山もきれいに見ることができ、特徴的な形と名前を一生懸命覚えていました。

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 遺跡めぐりのはじめは「水落遺跡」です。これは中国の先進的な技術を取り入れた中大兄皇子(のちの天智天皇)が、水時計をつくった跡だと伝えられています。さっそくどんな水時計だったのかを想像してみました。次は、蘇我馬子の発願によって建てられた「飛鳥寺」に向かい、左右で表情の異なる「飛鳥大仏」を拝観しました。また、除夜の鐘で有名な鐘も、大きな音が出ないかと恐る恐るついてみました。

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 「亀形遺跡→酒船石→板葺宮跡→川原寺跡」と遺跡めぐりが続きました。これは一体何に使われていたのだろう、こんなに大きな石をどうやってこの山の中に運んだのだろう…と不思議な石造物に想像がかき立てられます。中でも最後に訪れた「石舞台古墳」は蘇我馬子の墓と伝えられていますが、「石舞台」という名称から、ここを舞台に音楽を奏でたり舞いが舞われたりしていたのだろうかと想像が膨らみました。

 

《2日目》 奈良の大寺院をめぐる旅

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 朝一番に訪れたのは「法隆寺」です。西院伽藍は最古の木造建築として知られており、回廊の柱や五重塔の細部まで丁寧に見学しました。また東院伽藍の「夢殿」にある救世観音立像は、長年秘仏だったものを明治初期に岡倉天心とフェノロサが発見したことでよく知られています。聖徳太子の姿とも伝えられるこの像が、幸運なことに特別に公開されていました。

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 次は、鑑真和上が開いた寺として知られる「唐招提寺」を訪れました。多くの苦難を経て盲目になりながらも来日を果たした鑑真和上に思いを馳せました。昼食は「たまゆら」で奈良の名物である柿の葉寿司の御膳をいただきました。その後は「平城宮跡」を訪れ、当時の都の大きさを体感することができました。

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 「東大寺」では、まず南大門の金剛力士像の迫力に驚かされました。とにかくあらゆるものが大きく、大仏殿の大きさ、そして中の大仏には圧倒させられるばかりでした。それらの大きさから当時の権力がとてつもなく強いものだっただろうと想像しました。神のお使いである鹿とふれ合う時間も設けられましたが、想像以上に大きく怖々と近づいていました。この日の最後は、藤原氏の氏寺である興福寺を訪れました。つい先日、中金堂が落慶されて話題になっている寺院ですが、国宝館では人気の高い阿修羅像を見ることができました。

 

《3日目》 京都で伝統文化を体験する旅

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 京都と言えばこちらというほど代名詞ともなっている、「金閣寺(鹿苑寺金閣)」を訪れました。9時の開門と同時に入りましたが、多くの観光客であふれていました。外国人観光客も多く、国際的な観光都市京都を象徴している風景でした。金閣寺の敷地は広く、後方の山も登り約1時間の散策となりました。

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 続いて、禅寺である大徳寺大仙院で座禅体験をしました。足を組むことから苦労しましたが、深い呼吸をしながら静寂の時を過ごしました。終了と同時に30分座禅をしていたことを告げられると、「あっという間だった」と驚きの声が次々と聞こえてきました。その後は、大和宗貴住職を囲んで、法話をうかがいました。また、大徳寺は臨済宗の寺院であることからお茶も有名で、抹茶をいただいてほっと一息つきました。この日の昼食は大徳寺内にある「泉仙」で精進料理をいただきました。こちらの料理は「鉄鉢料理」と言われ、全ての料理をいただくと器を一つにきれいに重ねることができます。

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 午後は、今年度新たに取り組んだ「京町家の再生と活用」を学ぶプログラムを体験しました。まず、「京都市景観まちづくりセンター」を訪れ、京都のまちづくりと京町家についてレクチャーを受けました。その後は、3つのグループに分かれて実際の京町家を訪れて様々な体験をしました。写真は「きっさこ和束」を訪れたグループの様子です。約100年前に建てられた京町家が空き家になっていたところを、カフェとしてリノベーションしたお店です。古き良き伝統を感じられる空間の中で、現代的な抹茶アートを体験しました。その他には、「奈良屋記念杉本家住宅」で学芸員の杉本歌子さんから京町家での豊かな生活の様子についてお話をうかがったり、造り酒屋を営む「キンシ正宗 堀野記念館」では桃の井の水を試飲させていただいたりしました。

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 夕食後はホテルで和菓子作り体験をしました。「京菓子司よし廣」の職人さんに丁寧に教えていただきながら、秋らしい柿といちょうを作りました。最後に職人さんの技を見せていただきましたが、和菓子のみかんが本物のように皮がむけたのには、大きな歓声が起りました。

 

《4日目》 古い時代の仏教、密教を知る旅

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 「天台宗総本山 比叡山延暦寺」を訪れました。この日は、長年お世話になっている名物ガイド名越さんと一緒にめぐりました。カーブのきつい山道をバスで登り終えると、眼下に琵琶湖が広がりました。延暦寺に到着するとあいにくの天気で想像以上の寒さでしたが、その分、今年は遅いと言われていた紅葉がきれいに見られました。「根本中堂」は修復工事中で建物の外観を見ることができませんでしたが、工事の足場から修復作業の様子が見られたのは貴重な体験でした。本来ならば東塔を見学した後に西塔まで足を運ぶ予定でしたが、悪天候のため急遽コースを変更し、市内の三十三間堂を訪れました。

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 午後は「東寺」の名で親しまれている真言宗の根本道場「教王護国寺」を訪れました。はじめに大日堂で法話をうかがい、身近な高校生の話から日常生活を見直すきっかけになりました。また境内をめぐり、立体曼荼羅で有名な講堂内は特別拝観の時期にあたり、通常は正面からしか拝観できない仏像を後方からも見ることができました。また、五重塔も特別拝観で初層の中をみることができ、貴重な体験となりました。

 

 4日間のプログラムは、どれも古き良き日本文化を感じられるものでした。事前に教室で学んでいたことも、現地を訪れると文化財がどのような空間の中に存在しているのかがわかります。そうした文化を私たちが体験できるのも、継承してきた人々がいたからこそのことです。日本の伝統文化をいかに継承し現代の私たちの生活に活かすのか、過去と現在とをつなげる壮大な歴史の時間軸の中に位置付くプログラムだったと振り返ることができます。

《高校1年》 国内FW 岩手・宮城方面

【1日目】

朝7時過ぎに東京駅に集合でしたが、余裕をもって全員が早めに到着し、意欲の高さがうかがえます。新幹線で岩手県の新花巻駅に到着した後、バスで沿岸の釜石にある陸中海岸グランドホテルに向かい、昼食の海鮮丼をいただきました。一息ついてから、震災時に大きな被害を受けた大槌町の町役場の震災遺構を訪問しました。おらが大槌夢広場の神谷さんから、当時の大槌町の様子を詳しく聞きながら、遺構を訪れる外部の人に対する町の人たちの複雑な思いを知り、これから始まる4日間の研修が、自分たちにとっても覚悟を要するものであるという自覚を持つことが出来ました。町役場の前で黙とうを捧げ、後、防潮堤や湾の様子についてお話をうかがいながらバスで大槌町を巡りました。

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町の文化交流センターの会議室をお借りして、神谷さんから、震災当時の様子を詳しく聞きながら、ワークショップを受けました。5,6人のグループに分かれて、個人としての答え、グループとしての答えを出していくものでしたが、最初に与えられた課題は「自分は大切な人と一緒にいま津波から逃げています。でもその大切な人は足をけがしてもう歩けません。あなたはその手を放しますか?」というとても重いものでした。そのような極限状況を想像して泣き出してしまう人も多くいましたが、当時は同じ決断を一瞬のうちに下さなければならなかった人もいたのだと実感し、その後の震災学習に対する取り組み方を大きく変えるものになりました。

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【2日目】

バスで釜石駅に向かい、三陸鉄道南リアス線(震災学習列車)で盛駅に向かいました。車内では、ガイドさん自身の体験談や、それぞれの湾の特徴や震災時のことについて詳しくお話をうかがいました。トンネルと湾が交互に繰り返され、リアス式海岸の様子を実際に感じることができました。

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陸前高田に移動して、ガイドの菅野コハルさんから様々なお話を聞きました。まず陸前高田の広田湾を一望する高台に建つ普門寺に向かいました。立派な杉の巨木の参道、静寂な佇まいの庭や三重塔など、見どころの多いお寺です。敷地内には震災の犠牲者の鎮魂を祈り、高田松原の倒木を使って長野市の善光寺が制作した親子地蔵や、五百羅漢が置かれていました。本堂には震災で亡くなって引き取り手のない無縁仏となった方の遺骨が7年経った現在もまだそのまま置かれていました。その後も、バスで市内を走り、奇跡の一本松や気仙中学校を見ながら当時の様子を伺いました。

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その後、陸前高田の市役所に向かいました。市役所はまだプレハブの仮設庁舎で、震災の傷跡の深さがうかがえます。市役所では市の復興局長である熊谷さんからお話をうかがいました。津波にのまれて屋上を残すだけの市役所の写真にある人影をさし、「これが自分です」とお話される姿を見て、こうしてお話をしてくださる方々もそれぞれ過酷な経験をされたのだと改めて身にしみました。津波で行政機能が完全にマヒした状態から、復興計画を立て街づくりを進めていく様子や、人口減少への対応に苦労されていることがよくわかりました。生徒が人を呼ぶためにどういう取り組みをなさっていますか、と質問したときに、逆に「どうしたらあなたはこの街を訪れてくれますか?」と問い返され、その難しさに気づくという場面もありました。

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2日目最後は、宿泊先のホテル観洋の伊藤さんからお話を頂きました。ホテルは震災時に2階まで浸水しましたが、おかみの先導のもと従業員と一緒に被災した方々を、マニュアルにとらわれず臨機応変に対応されたお話をうかがいました。印象に残ったのは、お世話をしすぎない自立を促すような支援をされたことや、何かあったときにリーダーシップをとれる人になることの大事さを学びました。

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【3日目】

午前中は、ボランティア活動で漁業のお手伝いをしました。浮きについたフジツボなどの貝類を取り除く作業と、ホタテを入れるためのカゴ編みをしました。3時間ほどの作業でしたが、天気にも恵まれ、漁師さんの気さくなお人柄もあり、楽しみながら作業することができました。一方、ここでも人手不足の問題を肌で感じ、東北沿岸部の人口減少問題の深刻さを感じました。

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午後は、ホテル観洋の伊藤さんから南三陸全体の語り部ツアーをして頂きました。特に震災遺構である高野会館では、普段立ち入りのできない建物内部まで案内していただき、津波の威力を実感することができました。また、人を呼び込むための高速道路がストロー現象によって、逆効果をもたらすおそれがあることや、実際に経験しないとやはり本当のことはわからない、でもこうして自分たちの経験を伝えることで、多くの人に「命を守る」ことの大切さを知ってもらいたいというお話が印象に残りました。

その後、気仙沼のリアスアーク美術館に向かいました。この美術館では東日本大震災を未来に伝える展示を行っています。200点以上もの写真、150点以上の被災物それぞれに小さなコメントがつけられていて、ひとつひとつのモノにはそれぞれ人の営みがあったのだなと思い知らされました。

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夜は、翌日のプレゼンのために各グループでスライド作りをしました。それぞれ与えられた問いに対して、今回のフィールドワークを通じて学んだことを生かし、自分たちなりの答えを出していきます。盛りだくさんの内容に、なかなかうまくまとめられず予定していた時間をオーバーして班で話し合いをしていました。

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【4日目】

午前中はさんさん商店街を訪問し、会長の阿部さんからお話を頂きました。商店街がモノを売り買いする場というだけではなく、人々の再会の場として機能したお話や、職住一体だった生活が、職住分離になっていろいろな問題があることなど、それまで考えもつかなかったお話をうかがいました。お話の後は、それぞれ買い物と昼食の時間を取りました。海産物で埋め尽くされたキラキラ丼を食べたり、ご当地キャラクターのオクトパス君を購入したり、思い思いに楽しんでいました。

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午後は、東北大学の藤本先生に、これまでの学習の成果を聞いて頂きました。生徒たちは、震災遺構、盛り土と復興、地域経済と産業などについて全部で6つのグループに分かれてプレゼンを行いました。この4日間、様々なお話を聞いたり、体験をしたりしてきましたが、短い期間では消化しきれないほどの多くのことを学ぶことができました。あまりに多くのことを学び過ぎて十分に消化しきれなかった部分もありましたが、藤本先生には生徒の発表に対するコメントを頂くとともに、問題解決のヒントとなるようなお話をうかがいました。

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長いようであっという間だった4日間、今回お話をしてくださった方みなさんがおっしゃっていたのは「自分の命を守ることが大切な人の命を守ることにつながるのだ」ということです。いつどこで大地震が起こるかわからない日本で生きる私たちですが、今回のフィールドワークで学んだことを、自分で生かすのはもちろんのこと、身近な人に伝えて共有していくことの大切さを学びました。

今後、生徒は今回の体験を踏まえて、最終レポートを仕上げていきます。

《高校1年》 国内FW 四万十川方面

FW四万十方面では四万十川に沿って海へ向かって移動をしながら、森・川・海などの自然と人がどう関わって生きているのかを学びます。また、民泊体験などを通して現地の文化を学ぶとともに、「過疎化」という社会問題にも向き合う研修です。

 

<1日目>

羽田空港から高知空港に到着すると快晴で気持ちの良い空が広がっていました。そのあとはまず高速をバスで移動です。四万十川財団事務局長の神田さんに同乗していただきながら、高知県の魅力をお話していただきました。

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しばらく走ると道の駅あぐり窪川へ到着です。ここでは地元の素材を使った豚丼をいただきました。道の駅の駅長さん、料理長からご挨拶と料理の説明をしていただいて、いざ実食!本当に美味しくて30人の生徒が全員完食をしました。

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次に大正地区で四万十町森林組合の林さんと廣田さんからお話を伺いました。そのまま放っておくのが自然保護ではなく、自然を守るために手入れをしてあげることが、大切だと学びました。その際に出てくる間伐材を加工して、「四万十ヒノキ」というブランド化していくまでの加工現場を見学しました。また、実際に原材料となる木材の生えている森へ入っていき、間伐をすることで日が入り森が豊かになっていくことを肌で感じました。

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道の駅「よって西土佐」へ行き、大高さんという方に講演をしていただきました。なぜ四万十へ移住してここで働こうと思ったか、というお話から始まり、さらには現地で暮らしているからこそ感じる問題を生徒に伝えていただきました。本当に便利になっていくばかりの一方で失われていくものは何だろうか…。生徒たちは自分の暮らしと照らし合わせて気付かされたものがあったようです。そのあとに少しだけお土産タイム!

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そして、1日目の宿舎である四万十楽舎へと。もともと小学校だった施設を改修した宿泊施設です。生徒たちはどこか懐かしい小学校の音楽室や図書室などに大盛り上がりでした。夕食後、道の駅「よって西土佐」ではたらく林さんと平野さん(みっちゃん)の登場です。今でこそ道の駅「よって西土佐」駅長を務めている林さんはずっと四万十川で漁業組合長をされていた方です。これまでどこか他人事のように「地方の問題」を捉えていた生徒たちも、実際に話していくうちに「これは他人事ではない」と感じるようになったようです。現地に行って、現地の人と話すことが本当に大切なのだと感じました。

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<2日目>2日目は四万十川と触れ合う1日です。

四万十川流域にはどんな生物が生息しているのか、それを実際に川に入って探してみました。川の水を抜くテレビ番組などで見たことがあっても、実際に体験をしたことのない生徒もおり、みんな必死になって生き物を捕まえていました。様々な種類の生き物を捕まえて、最後に一つひとつを解説していただきました。

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そして四万十川の名物である沈下橋へ移動してお散歩タイムです。実際に沈下橋を渡ってみると、天気に恵まれたこともありものすごく気持ち良かったです。生徒たちは写真を撮ったり、浅瀬で水遊びなどをしていました。本当に水が澄んでいて、橋の上から魚群が確認できるほどでした。

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たくさん動いたあとはお昼ご飯です。この日は屋形船に乗って、四万十川の上でいただきました。船内では川エビ漁師さんのお話を伺いました。鮎や手長えびの入ったお弁当を美味しくいただき、また屋形船から見える四万十川の景色を楽しみました。本当に水が澄んでいて、船の上からも川の底が見えるほどでした。

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午後は、四万十学遊館に移動し生き物探しゲームや放棄水田の見学を野外で行った後、室内で朝からお世話になっている杉村さんの講演会でした。四万十の生態系を守るためにしていること、必要なこと。そして視野を広げてこれから地球環境保全のために必要なことなどを考えることができました。ここでも、自然を守るということは放置することではない、という考え方が出てきました。生徒たちは中学2年のころに行った小網代の森への研修と結びつけて考えることができていたようです。

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2日目の宿は「いやしの里四万十の宿」です。豪華な夕食、部屋、そして露天風呂付きの大浴場に生徒たちは感動していました。夕食後には砂浜美術館理事の村上さんから講演をしていただきました。ビーチコーミングという考え方に初めて触れて、それがすごく心に残っている生徒が多かったようです。「砂浜に落ちているゴミを美術品として捉えて楽しんでみよう」という発想は本当に素敵だなと生徒たちは感動していました。講演の中では実際に砂浜に流れ着いた作品を手にとって見せていただきました。翌日に砂浜に実際に行ってビーチコーミングするのが楽しみになりましたね。

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<3日目>

午前中は「水探し(ムカシトンボのヤゴ探し)」から始まりました。なぜヤゴを探すのかというと、ムカシトンボのヤゴはきれいな水(人が飲める水)の川にしか生息できないので、このヤゴが見つかればそこは飲める安全な水と考えられるからです。前日の生き物探しで慣れたのか、生徒たちは水の中へとドンドンと進んでいき、ヤゴを含む様々な生物を見つけていました。

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海の方へと向かって移動をし、砂浜に行ってビーチコーミングをしました。前日に教わった「砂浜の楽しみ方」をもとに生徒たちは、ライターやハンガー、様々な「作品」を見つけていました。

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お昼は黒潮一番館でいただきました。ここではカツオのたたき体験をしていきます。カツオを丸々一匹さばいて、燃える藁で燻し、そしてお皿に盛り付けて完成です。

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午後は、天然塩づくりの体験です。いくつかの塩づくりの作業を体験させていただいた他、工程ででたにがりを用いての豆腐をつくり塩をつけていただきました。受け入れてくれたソルトビーの方々が生徒の名前入りの瓶を用意してくれており詰め放題の塩のお土産も!いつも食べている塩とは違って、おいしい!と感じるお塩でした。

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そして3日目はいよいよ民泊体験の日です。ホストファミリーとの緊張の対面を果たし、それぞれのお宅へと向かいました。それぞれのお宅では自分たちで薪をくべて五右衛門風呂を準備したり、裏の沢で生き物をとってきたり、一緒に地元の料理を作ったりと、現地の生活を体験させてもらいました。

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<4日目>

朝に集合場所へと向かい、最後に記念撮影をしてお別れです。たった一泊でしたが、本当にお世話になりました。「大学生になったらまた来ます」という生徒もいました。その後は「いよめし」という高知の郷土料理を食べて、最後に高知大学へと向かいます。

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高知大学では地域協働学部で教壇に立つ森先生と田中先生が迎えてくれました。ここでは5人ごと6つのグループに分かれ、この4日間のFWを1枚の模造紙にまとめたものをもとにプレゼンを行いました。その後高知大学の方々から質問や補足説明をして戴きながらこの4日間で学んできた様々な事を今一度考えることができました。自分たちの中のものをまとめて発表することで、これまで感じたこと考えたことを整理し、新たな疑問を持つことのできた深い時間となりました。

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生徒たちは四万十の研修で、環境の問題や社会的な問題など様々なことを学んで帰ってきました。しかし最も学んだことは「現場に出て学習することの大切さ」でした。どんどん便利になって何でも調べられる時代だからこそ、実際に現地に足を運んで学ぶことで、どこか他人事のように思っていたことを自分のこととして捉えられるようになりました。これから事後学習に入ります。一人ひとり自分なりのテーマや問題意識を、さらに深めていく学習へと続いていきます。それらの土台となるような充実した研修でした。

2018年12月26日 (水)

《高校1年》 国内FW 沖縄方面

1日目

 朝早かったにもかかわらず、研修の楽しみと緊張からか、眠そうな雰囲気は全く感じさせない集合となりました。事前学習も万全な状態で、現地でのたくさんの学びを期待しつつ、自ら学ぼうとする決意とともに出発しました。

 沖縄は11月でも27℃(体感的には30℃)と大変暑く、同じ日本だろうかと思うほどでした。今日と明日の2日間をガイドしてくださる川満さんと瀬戸さんに挨拶し、バスで那覇空港から普天間基地を見渡せる嘉数高台へ行きました。普天間飛行場は普天間市の中央にあり、民家やビルが周りを取り囲む状態でした。米軍機からの落下物問題や騒音問題などを考えながら見学しました。また、京都の塔には慰霊の意味だけでなく、平和を望む言葉が刻まれており、戦争とは何かという問題を投げかけられた思いでした。普天間基地にオスプレイが待機していたため、予定にはありませんでしたが、フェンス越しに見学しました。なかなかできない体験でした。

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 佐喜眞美術館では丸木位里さんと俊さん作の「沖縄戦の図」を鑑賞しました。絵でありながらその圧倒的な現実感と迫力は、戦争は終わってもその悲惨さを芸術の視点から残していく意味を考えることができました。

 嘉手納基地周辺にある安保の丘で、騒音問題についてお話を聞きました。何度も頭上を通る輸送機や戦闘機にガイドさんの声も遮られ、騒音問題の実際を知ることができました。

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2日目

 この日は沖縄戦を学びました。八重瀬公園は白梅学徒隊の手術場壕跡がある場所です。手術とは名ばかりの処置しかできなかったことや、なんでもない坂道には当時負傷兵の食事を運びながら、いつ着弾するかわからない恐怖と戦った学徒がいたことを聞きました。

 白梅の塔では白梅学徒隊だった中山きくさんのお話を聞きました。中山さんの沖縄戦を実際にお聞きし、戦争が考えていた以上に苦しく、悲惨であることがわかりました。中山さんは「平和のバトンをつなげてほしい」と、生徒グループリーダーの二人と握手を交わしました。

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 ひめゆり資料館では普通の学生が戦争に携わり死んでいったことが膨大な資料とともに書かれており、今戦争がおこったらどうなるのかと考えさせられました。

 糸数アブチラガマは石灰岩地形にできた洞窟で、戦時中は医療と住民の避難所として使われました。しかし、ここでも多くの人が十分な治療ができないまま死んでいきました。じめじめとした洞窟は懐中電灯を消すと真っ暗闇となり、息をするのも苦しく感じました。

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 ホテルに戻ってから、琉球舞踊うどいを鑑賞しました。ゆっくりとした動きの宮廷舞踊で、琉球の文化を楽しむことができました。

 1日目と2日目の研修を振り返って、自分の感想をグループで共有しました。事前学習で学んだ以上に現地の力を感じ、過去のことであっても想像することでたくさんの学びを得ることができました。

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3日目

 この日は自然と文化体験が中心でした。まずはカヌーとビーチコーミングです。カヌー体験はインストラクターの方がわかりやすく説明してくれたため、たくさん楽しむことができました。ジュゴンが来る辺野古の海はとても綺麗で、カヌーからは深さ5mほどもある海底の砂やサンゴが見えました。ビーチコーミングでは貝殻を加工して、思い出を残すことができました。

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 午後は紅型体験で、それぞれ気に入った絵柄に色付けしました。家に帰ってから、のりをとって仕上げです。どんなものが出来たでしょうか。

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 東恩納さんは辺野古の海を守る活動をされてきた方です。埋め立て予定地のフェンス前でこれから何が起ころうとしているのかをお話しされました。辺野古に飛行場ができることで基地問題は改善するのか、土砂が投入されることによる生態系への影響、そもそも本土と沖縄の人々の認識や意識の差など、私たちに投げられた宿題は簡単に答えを出せないものでありながら、それでも答えを出さなければならない苦しさを突きつけられた思いです。

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4日目

 最終日は琉球新報社と首里城の2隊に別れて行動しました。琉球新報社では東江さんと玉城さんがコーディネーターとして、3日間の沖縄での学びを生徒どうしがインタビューすることから始まりました。学んだことを感覚的ではなく、言葉として残すことに難しさを感じたようです。また、沖縄県知事の記事からどんな情報が読み取れるのかを考えました。

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 首里城チームはガイドの横田さんと下地さんとともに史跡の見学を中心に行動しました。世界遺産に登録されている玉陵では琉球王国の大陸との交易の深さと独自の文化について学びました。また、首里城は正殿を塗り直ししている途中でしたが、公園内での戦争の跡や文化、城内の見学をすることができました。沖縄でも有数の観光地ですが、首里城が沖縄戦の要所として使われたことなど、研修でないと知ることができないことも学べました。

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 最後は国際通りで昼食と買い物をしました。沖縄ならではの食べ物やお土産品に満足したようです。4日間とは思えないほど密度の濃い研修を終え、現地でなければ学べないことがたくさんあることがわかりました。これからも沖縄は地上戦があった場所としてあり続け、日本の基地問題の最前線であり続けてしまうのでしょうか。私たちは同じ日本のこととして、沖縄のことを考えていたでしょうか。研修は終わっても沖縄のことは忘れられない、そんな研修になったと思います。

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2018年12月25日 (火)

《高校1年》 国内FW 水俣方面 -人間の尊厳を探究する旅―

「人間の尊厳」をテーマとした水俣方面のフィールドワークは11月7日~10日で行われました。事前学習で学んだことを大切に臨んだフィールドワーク。現地では豊かな出会いが待っていました。

 

<1日目:不知火海の豊かさを知り、杉本家に出会う>

熊本空港からまっすぐに水俣市に入りました。春のような暖かさを感じながら水俣川に沿って歩き、フィールドパートナーの吉永さんのお話を聞きます。水俣という地名の由来も学びました。その後エコパークで昼食を食べ、慰霊碑に黙とうを捧げるセレモニーを行いました。有機水銀が含まれたヘドロを埋め立てて護岸された場所に立ち、穏やかな不知火海を臨みながら、水俣病の苦しさは人間以外の生きものにも大きな影響を及ぼしたことを考えました。

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エコパークを後にして茂道に行き、杉本実さんの漁船に乗せていただきました。1時間ほどの船旅でしたが、海から海岸線を眺める体験で、水俣は海と山がとても近いことがよく分かります。海の中から真水が湧き出ている様子もよく分かり、「魚湧く海」と呼ばれた豊かさを間近で感じました。

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漁船を待つ間に磯でビナや蟹を探しました。岩の間に隠れている生きものを手に取ってじっくり観察します。ビナはたくさん採って茹でて食べたりもしていたそうです。海が身近にあるという生活を束の間味わった生徒たちです。

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宿泊は湯の鶴温泉のあさひ荘でした。宿舎に杉本肇さんに来ていただき、家族が水俣病で苦しんでいた時期のことや、ご自身が葛藤を抱えて水俣を離れていた時期のことを丁寧に話していただきました。講話の後半には肇さんのお母様である杉本栄子さんがもやい直しのために考案したハイヤ節を教わり、輪になって楽しく踊ることができました。

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<2日目:水俣病を学ぶ一日>

二日目は2コースに分かれて水俣病を学ぶ日でした。共通に訪れたのは水俣病資料館と百間排水口です。フィールドパートナーの方々から伺う話は、水俣病が起こった当時の状況を彷彿とさせるものばかりでした。

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Aコースは吉永理巳子さんに会ってお話を聞きました。ご自身のお父様が水俣病で苦しむ姿を見ながらも、吉永さん自身が語り出せるようになるまでに長い時間がかかったということを涙ながらに伝えて下さいました。自分が早く語り出していたら…という吉永さんの後悔にも似た思いをまっすぐに受け止めながらも、体も心も傷つける水俣病の辛さを思いました。

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午後に訪れたのはほっとはうすです。胎児性水俣病患者の方々が作業を通して社会に参加する場として、地域に位置づいてきた施設です。5名の胎児性患者の方が話してくださる言葉を真剣に聞き取ろうとし、歩んできた人生に思いを馳せました。

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Bコースは袋小学校を訪問しました。小学校5年生との交流では、水俣病を学んで堂々と発表をする小学生の姿に圧倒される思いでした。「水俣病はうつりません。正しく学ぶことが水俣病を伝えるために必要なことです」という小学生からのメッセージをきちんと受け止めたいと思った生徒たちです。事前に準備した横浜クイズや神奈川学園の紹介をした後に、ゲームで楽しく交流し、沢山の笑顔が見られました。

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久しぶりの給食を一緒に食べることで更に親しみが湧き、交流の時間が終わってしまう時には別れがたく、いつまでも手を振り合っていました。

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午後に遠見の家でお会いしたのは坂本しのぶさんです。付き添っている谷さんを介しながら、小学校の時に自分一人でバスに乗ろうとしたことや、できないと決めつけられて悔しい思いをしたこと、「いつでも走っているね」と言われて嬉しく思ったことなどを訥々と語ってくださいました。「水俣病は終わっていない。終わらせてはいけない」という言葉がしのぶさんの口から発せられた時、今まで感じたことのない重みを持ってその言葉が伝わりました。

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偶然同席した生駒秀夫さんからも、突然発症した水俣病に苦しんだ経験を伝えていただきました。就職の時に「水俣病患者には仕事はない」と言われた体験は、今でも生駒さんの心を傷つけていると感じました。生徒は受け取ったメッセージを忘れまいと気持ちを新たにしました。

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宿舎に帰ってから、山下善寛さんにお会いして、チッソに勤務し組合活動を通して「人として大切にするべきことは何か」を問い続けた闘いの経緯を伺いました。チッソが排水を止めなかったことが何をもたらしたのか、当時の様子を現在に引き付けて多くの生徒が考えました。山下さんのお話は、現代の企業や労働問題にもつながるだけでなく、水俣病に関する「責任」の所在を問いかけるもので、ずっと考えていく宿題を渡していただく講話でした。

 

<3日目:山で過ごし、その豊かさを味わう一日>

3日目も2コースに分かれてのプログラムでした。

Aコースは鹿児島県との県境にある石飛地区の天野茶屋を訪れました。一面に広がる茶畑でお茶の葉を摘んでみたり、囲炉裏を囲んで天野さんのお茶づくりの話をうかがったりしました。日常にこれほどゆっくりと流れる落ち着いた時間があるのだと知り、生徒の気持ちは柔らかくほどけていきました。

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美味しい郷土料理をいただいた後は外で野遊びを楽しみました。鹿児島県との県境まで登って記念撮影です。斜面を使ってダイゴロ遊びをする時には幼い時を思い出して、大笑いしながら楽しみました。

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Bコースは久木野地区の愛林館を訪れました。ここでは手作り豆腐と鴨鍋ならぬアヒル鍋を作りました。うどんを作るチームと豆腐作りのチームに分かれてそれぞれ丁寧に食事を作りました。目の前でアヒルが解体される様子を見ながら、生きていくために他の生きものの命をいただいていることが実感として分かりました。

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お腹いっぱいのお昼ご飯を楽しんだ後は棚田の里を散策しました。水源の森の湧き水の冷たさに歓声を上げ、なだらかな坂道を下ります。途中で草を食むヤギの親子と出会って記念写真を撮ったり、工夫して積み上げられている石垣の見事さに先人の知恵を感じたりしながらの散策となり、「豊かさとは何か」に思いを馳せる午後となりました。

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不知火海を臨む「海と夕やけ」に宿舎を移った三日目の夜は、シンガーソングライターの柏木敏治さんにコンサートを開いていただきました。水俣病患者やその家族の傍にいて気持ちに寄り添いながら曲を作ってきた柏木さんの歌声を聞きながら、歌詞の内容を現地での出会いに重ねて「声にならない声を聴く」体験をした生徒たちです。最後には『春の汽車は遅い方がいい』を全員で歌いました。

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<4日目:水俣の「これから」を考える一日>

最終日となる11月10日は現地フィールドワークのまとめとなる日でした。午前中は、相思社水俣病考証館を見学し、スタッフの永野三智さんにお話をしていただきました。相思社は坂を登ったところにあり、不知火海を臨む丘の上にあります。水俣病の相談に訪れる方はこの坂を上ってくるのだと思いながら歩きました。

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考証館は「水俣病を語るもの」の実物展示で構成されています。漁民が使っていた道具、患者に届いた嫌がらせのハガキ、デモに使ったゼッケン、水銀のヘドロなどが展示されています。静かな空間に水俣病の苦しさと複雑さ、怒りと悲しみが満ちているようでした。生徒たちはメモを取りながらも真剣な眼差しで展示品を見学していました。

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見学がひと段落したところで、永野さんは「何が一番印象に残りましたか」と問いかけながら、生徒の言葉を拾って解説をして下さいました。展示品の持つ背景が浮かび上がってくるようでした。その後、亡くなられた水俣病患者の位牌を祀っている仏間でお参りをしてから永野さんのお話を伺いました。相談を受けている時の思い、水俣病市民の中で水俣病がどのように受け止められているのかなど、永野さん自身の体験をくぐらせながら私たちにメッセージを伝えて下さいました。「水俣病の当事者は誰か」という問いが生徒一人ひとりの中に残るお話でした。

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昼食は福田農場でパエリアを作りました。彩り豊かなパエリアはとても美味しかったです。

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最後のプログラムはエコネット水俣訪問です。石鹸工場の見学をし、環境再生の取り組みの一環として石鹸を使う意味を教えていただきました。水俣病の教訓を忘れずに、生活の中でできることから始めていく、そしてその取り組みを継続する大切さを学ぶ機会となりました。

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様々な角度から「水俣病」を学び、メッセージを受け取って考えたフィールドワーク。生徒一人ひとりの心には水俣の自然の豊かさと人のあたたかさが刻まれました。日常に戻ってからも、水俣での学びを活かしていけるとよいです。

2018年12月22日 (土)

《部活動》 生物部

生物部は小網代ジュニア調査隊に11月18日と12月16日参加しました。

バス停引橋で降りて水道局の前で説明を受け、その後一般のボランティアウォークに参加された方たちと合流して、ポイントごとにガイドの皆さんから説明を受けつつ、干潟まで下ります。その後11月は榎テラスの周辺の植物調査をしました。12月は「小網代の海と森のセミナー」に参加しました。

(12月の生徒の感想)

 今回は、前半は前回と同じように引橋からえのきテラスまで山を下りていって、そこに着いたらシーボニアで先生達が集まってセミナーをしました。

 まずは、前半の小網代の森の中を散歩をしながら環境や植物を観察するのをやりました。これは前回の活動と同じように進めていきました。ただ、一つだけ違うところがありました。もちろん、散歩をしながら森の説明をしてくれる人は違いますが、もっと大きな変化がありました。それは、植物の環境の変化やそこに生えてくる植物の変化です。柳瀬先生も言っていましたが、森のなかに生えている木の種類によってそこの近くに生えてくる植物も違ってきます。葉っぱが多く茂っている木(シロダモやマテバシイ)の下には日光に当たっていないと育たない植物(笹)は全く生えていませんでした。ですが、葉っぱが少なく茂っている木(コナラ)の下には日光がでているので、笹などは多く生えてきます。その現象を現地でわかりやすく見れたので、少し嬉しかったです。

 後半は前回とはちがって、岸先生などの大学教授の凄い人達がセミナーを開いてくれました。私たちももちろん参加しました。

 まず最初は、先生達の紹介と今から何を教えてくれるかなどを紹介してくれました。そこで、私は今この場でしゃべっている人達は凄いことを成し遂げた人達なんだ、とわかりました。

その次に、この小網代は上から見たらどういう風になっているのかやどういう生き物がいるのかなどを紹介してくれました。写真付きで紹介してくれたので、とてもわかりやすかったです。

その次は、色々な生物の写真が雪崩のようにバンバンでてきました。しかも、それは全て小網代でとれた生き物でした。大体100種類以上紹介されました。私もさすがに驚きました。

次は、生物を次々と紹介していくだけではなく、その生物の系統などを私でもわかるように説明してくれました。その中には、今回の試験範囲に入っていたものもあるし、全く見たことも聞いたこともない単語もありました。

 今回の小網代の調査は、森の観察は前回同様とても楽しかったです。環境の変化はテレビとかでしか見たことが無く、実際に見れてとてもうれしかったです。

セミナーは、説明も分かりやすかったし、何よりも、自分がまだまだ生物のことを深く知れていないのがわかりました。もっと生物のことを知りたいなと思いました。また参加してみたいです。(中1 U.S.)

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一般のボランティアの人たちと岸先生からの説明を受ける(水道局前)

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柳瀬先生からガイドしてもらう(アスカイノデの谷)

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ヤナギテラスで説明を受ける

2018年12月19日 (水)

《部活動》 筝曲部 第21回高等学校日本音楽発表会(神奈川県大会) 第4位入賞 全国大会へ‼

筝曲部は、12月16日(日)に川崎市幸市民館で開催された「日本音楽発表会 日本の楽器・日本の歌(県大会)」で、第4位に入賞しました。演目は『砧三章』(沢井忠夫 作曲)で、練習の成果を発揮して息の合った迫力のある演奏を披露しました。

今年度(2018年度 長野大会)に続き、来年度も全国高等学校総合文化祭(2019年度 佐賀大会)に出場することが決定しました。

 

筝曲部は創部50年以上を遡る、長い歴史を持つ部活動です。現在の部員数は高校生10名、中学生16名の計26名です。活動は週3回、放課後の練習に励んでいます。生田流からコーチを迎えてご指導いただいています。

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《国際》 Xmasカードが届きました

今年も、オーストラリアの姉妹校オーミストンカレッジの生徒のみなさんから、中学1年生に〝Xmasカード″が届きました!

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