出張講義:筑波大学 土井隆義先生『かけがえのない自分を生きる』
かけがえのない自分を生きる ―キャラ化された日常世界の落とし穴―
期末テストが終わり、考査講評の初日の午後に、筑波大学の土井隆義先生による出張授業がありました。土井隆義先生は社会学の先生です。事前に岩波ブックレットの「キャラ化する/される子どもたち」を読んで臨みましたが、まさしく自分たちの人間関係に関わる分析だったので、自分を客観的に見つめるいい機会になりました。
先生は現在の若者が置かれている社会の状況や意識をたくさんの統計や資料を使って分かりやすく分析してくださいました。格差が広がる社会にあって、しかし若者は自分の生活への満足度が高い、という統計を出して、それはどうしてなのかと問いかけられました。生徒たちのほとんどが今の社会の中で満足度は低いと思っていましたから、どうして満足度が高いのか、という分析は新鮮でした。
社会構造などの変化の中で、世代間ギャップがほとんどなくなり、物分かりの良い親との関係の中で、特定の価値観を押し付けられることがなくなったこと。たとえば、行きたくなければ学校にいかなくてもいいと考える風潮が広がっており、人間関係も制度によってしばられなくなった結果、付き合いたい人とだけつきあえるような環境になってきたこと。そしてそうした人間関係を結ぶツールとしてケータイが大きく貢献していることなどなど・・・現在の私たちの意識が社会の変化といかに連動しているのかを見事に分析していただきました。
しかし、その結果として別の生きにくさが生じているという指摘もされ深く考えさせられました。生き方も人間関係も制度によって縛られず、自由に選べるようになったけれど、自由度は増せば増すほど、生き方は自分で考えて自分で選ばなければならなくなった。それは結構不安で重いことでもある。また、人間関係も自分がつきあいたい相手を選べるということは友だちから選んでもらえるかわからないということも同時に意味する。だから自由になるということはコミュニケーション力があからさまに問われ、人間関係力の格差が広がることになる。一人ぼっちはイタイので、友だちから評価されて安心を手に入れようとするのだけれど、ありのままの自分をさらけ出す不安から逃れるために、人格を単純化して『キャラ』としてつきあう、ということが広がっているのではないか。
・・・実に鋭い分析が続きました。最後はこのような社会の中で、「かけがえのない自分」をどう大事にしていけるのか、というまとめをしていただきました。生徒は自分のことと関連付けながらいろんな感想をあげてくれています。
【生徒の感想】
私は今日の土井先生の講演を聞いて、私が今まで何となく感じていた友だちの違和感をはっきり言葉に出された気がしました。『キャラ』は成長もせず変化もしない、ただそこに無機質にあるだけのもので、その人の個性や人格という可変性のあるものとは非なるものであるということがよくわかりました。
わたしは「あなたはそういうキャラだよね」というくくりにあてはめられると、そのたびにいいようのない息苦しさを感じることが度々ありました。私は括られるのは大嫌いです。わたしという自己すべてを(そんなに大したものでもありませんが)『キャラ』一言で表されることにはいやな思いがします。
一人でもいられる、この言葉すらおかしいと思います。「誰かといたい」ではなくて、「あなたがいいんです」ときちんとその人でなければならないと選んで言えるような大人になりたいと思いました。(T・S)
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格差とかの問題について、いろいろな面からとらえることができておもしろかったです。若い人の人間関係の問題についてでは、制度が人間関係を守ってくれなくなって、同じクラス、同じ学校だから友だちというわけではなく、同じグループが大切ということは、自分自身を考えても納得したし、私は一人っ子だからということもあって、一人でいることがそんなに苦ではないけれど、やっぱり私の中にも一人はイタイとか、かわいそうという思いがあるなと思いました。
今はやりの「婚活」についてのところでは、先生のお話の通り、条件で相手を選んでいるのは、完成型としての相手を見ていて、その条件は人間のほんの一面で、キャラに近いものだというところに、そうだなあと納得しました。相手との関係の中で変えていったり、そういうことが完全に排除されていて、わたしはいやだなと思います。
社会に絶対的で明確な基準がなくなって自由になると、不安感が高まって、でも今はそういう時代だから、自分自身である程度決められる力も必要だし、今日先生のお話を聞いて、人間関係がすべてではないと再確認できて、一歩引いて考えることもできました。そういう風に客観的に見ることは自分自身が切羽詰まらずにゆとりを持つことにもなると気づくことができて、そういう風に思えたことがとても大切だったのではと思えました。(H・W)
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講演会の前は社会学について詳しくはよく知らなかったのですが、土井先生は社会で起きているあらゆる物事を調べ、いろんな角度から社会問題の実情や課題点について展開して話してくださり、ただただすごいと思いました。同時に、これが社会学かととても納得しました。
土井先生がキャラ化する/される子どもたちについて調べていると聞いた時は、キャラ化っていったい何?とすごく疑問だったのですが、今日の講演会を聞いて、確かにニュースや新聞を見たり、自分が友だちと接しているときに、ある程度固定された性格しかないと思いこんでしまっている人がすごく多いし、(実際私もその一人かもしれないけれど)、他人に合わせて性格を固定している人もすごくいるから、本当にキャラクターみたいな人たちが今の日本にはたくさんいると感じました。土井先生は最後に固定された自分の姿だけに捉われるのでなく、自分の性格の多様さに気づき、ありのままの自分で過ごしていってほしいとおっしゃってくださいました。
人間はいろんな面というか、いろんな部分があって成り立っていると思うから、土井先生のおっしゃっていることはその通りだと思うし、この講演会を聞いて、私も普段からありのままの自分を出せるように自分のいろんな面を発見し育てていけたらと思いました。若者の自殺者数や少年犯罪の数が年々減ってきているというのは全然知らないことでしたし、なぜそうなるのかも分析していだたいて、とても面白いとも思い、少し社会学というものに興味がわいてきました。(A・H)
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「『自分はこのキャラ』という考えから抜け出しにくい」という体験を以前実際に体験したことがあるので、土井先生のお話の中で思い当たることが多々ありました。私は小学生のころ「てんねん」と言われるようになってから、自分はてんねんなんだと考えていたことがありました。「何か違う」と思い、その考えから抜け出した後は、なんとなく頼りない感じがありましたが楽にもなりました。・・・今思うと、小学生の私は決して「てんねん」ではなく、自分はどんな人間なのかを型にはめて安心感を得たかったんだと土井先生のお話を聞いて思いました。
今「自分はどんな人間なのか」と問われたら、私自身は「わからない」と答えると思いますが、友だちは「おもしろい」とか「しっかりしている」とか、「キャラ」を表す言葉をつかっていうだろうと思います。でもそれは、人間の一面にしかすぎないのだと気づかされました。人はいろいろな面を持っているのだから、実際に接してその人を理解することが大切なことなんだと再認識しました。
(R・T)
辻先生は大学で『試験管の中の生命』という本と出会い、学問と出会ったとおっしゃいました。大学とは教科書の勉強ではなく、誰もしていないことをゼロから創りだすところ。そこに学問の面白さがある。そうして現在再生医療の基礎研究をされているという風に語られて、本題の研究の話をされました。
辻先生はそうした医療の実態に、生物学の見地から本人の細胞から必要な組織を再生する、といった再生医療に取り組まれ、毛髪と歯の再生に成功されて2007年に世界中でニュースになるような報告をされています。歯の再生についても細胞の種を歯根に埋めても歯ができるまで5年~10年もかかってしまう。それでは実用化できないから、骨の組織まで含めた歯をあらかじめ再生し、骨ごと埋め込んで再生させることに成功されたのです。現在は肝臓を丸ごと再生する研究に挑戦されており、そのための研究スタッフの学生50人と一緒に取り組まれているそうです。




























■中学3年生の保健の授業では、毎年「応急手当」の授業を行っています。その一環として、6月18日の午後に横浜市消防局・神奈川消防署の方々に来て頂いて、心肺蘇生法とAEDの講習会をして頂きました。自分や身の回りの人がケガをした際に簡単な手当てができるように実習などを行ってきました。意識がない人に対しては、救急車等を待っている間にその場に居合わせた人が医師に引き渡すまでの間に適切な処置ができることが求められています。講義をして頂き、クラスごとに分かれて実習を行いました。





4月9日、高3進路講演会が開かれました。講師は、在日韓国人2世として生き、指紋押捺を拒否して闘いながら、「自分とは?」「自分の国とは?」と問い続けてこられた、ピアニストの崔善愛(チェ・ソンエ)さん。

