《中学1年》 「子どものころ 戦争があった」…講演会がありました
6月25日に元小学校教員の高橋栄さんをお招きして、学年全体でお話を聞きました。講演のテーマは「子どものころ 戦争があった」。高橋さんが終戦の年に13歳だったこともあり、中学1年生は自分たちと同じ年だった時に戦争をどのように感じていたのか、真剣な面持ちで話を聞きました。
講演の初めに、高橋さんは2つのことを伝えて下さいました。1つは「映像を使わないから、頭の中で映像に直しながら聞いてほしい」ということ。2つ目は「過去をきちんと知ることは、未来に役立つことと思いながら聞いてほしい」というメッセージでした。それから静かな語り口で講演会が始まりました。
「私は軍国少年でした」と語る高橋さん。子どもの時には戦争ごっこをたくさんしていたそうです。15年間も戦争をしていた日本に暮らしているうちに、戦争に協力する気持ちが自然に刷り込まれていったと感じていました。「欲しがりません、勝つまでは」の標語に表れているように身の回り全てが「物不足」であり、お寺の鐘やお年寄りの金歯まで供出しなくてはいけなかった当時を詳しく語ってくださいました。生徒たちはレジメに真剣にメモをとっていました。
学童疎開体験も生徒にとっては驚くことばかりでした。地元の駅から日の丸の旗を振られて旅立ったこと、疎開先では、食べ物をとりにリヤカーを押すなど子どもたちが協力して暮らしていたことなどを教えていただきました。魚を勝手に取って焼いて食べたこと、甘いものが欲しかったこと、手の先が黄色くなるほどみかんばかり食べていたこと… その話から戦争の影響が一般市民にまで及んでいたことを知りました。子どもたちの中には食べ物をめぐって仲たがいやいじめが起きたことも知り、生徒たちはとても悲しい気持ちになりました。
東京大空襲で下町が攻撃された理由も教えて下さいました。3月9日から10日にかけてたった2時間の空襲で10万人もの人が焼き殺されたと言われています。一般市民を巻き込んだ空襲の無差別性は、そのまま広島、長崎での原爆投下につながっていきます。70年前の戦争で起きたことをきちんと知ってはじめて、これからの世界を考えられると生徒たちは感じました。戦争放棄を掲げた日本国憲法の意味を考える機会にもなりました。