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2019年1月 8日 (火)

2018年度 3学期 始業式

1月8日に、3学期の始業式が行われました。校長先生から、お話がありました。

 

今日から3学期です。みなさん、冬休みは、どんな風に過ごしましたか? 新年には、「今年こそは」という目標を立てましたか? 3学期は学年のまとめであると同時に、新しい年度への助走期間でもあります。是非、それぞれに「今年こそは」と期するところをもって始めたいと思います。……

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上級生のみなさんは、この人を覚えていますか? これは、2017年11月27日に、この場所で講演して下さった安田菜津紀さんです。……その安田さんが、先月12月10日に、一冊の本を出しました。『あなたと、わたし』という詩集です。サヘル・ローズさんの詩と、安田さんの写真で構成されています。

 

3編だけ、紹介します。

最初の詩は、陸前高田市の奇跡の一本松。

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空がないている  地球が叫んでいる

誰も気づかない  それとも  気づかないフリ

泣いているのはアナタ  叫んでるのもアナタ

気づこう、  この声に。

モールス信号は今日も、  送られてきている。

ね、聞こえない?  ね、聞こえようとしてない?

ね。ね。ね。

 

2つ目は、シリア北部ロジャヴァの子どもたち。

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聞こえてる?

この声、アナタには、  きこえていますか?

生きているんだ、  ここで。

わたしは生きてる。

 

3つ目は、岩手県盛岡市。

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人生は悲しみの一滴から、  新たな生命を生み

山々は小さな岩から  うまれてくる

わたしはアナタの視線から、  生まれてきた。

 

この詩集を読んで、私は、詩を書いたサヘル・ローズという人を「もっと知りたい」と思いました。サヘルさんが自分の娘とほとんど同じ年で、同時代を生きていることも思いました。それで、10年前に彼女が書いた本を読みました。『戦場から女優へ』という本です。

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サヘルさんは、1985年、イランのクルディスタンの近くにある、国境に近い小さな町で、極貧の家庭に11人兄弟の末っ子として生まれました。イランイラク戦争の真っただ中です。

1980-1988 イランイラク戦争は、イラクがイランに攻め込んで始まりました。宗教的な対立と、ペルシャ湾の石油資源を巡る対立とを背景に始まった戦争です。1979年イラン革命が起きたことが引きがねになったと言われています。この時は、アメリカがイラクに軍事援助しました。この戦争に複雑な利害関係が絡んで、世界情勢を不安定にしました。

1988年8月20日国連安全保障理事会決議により、停戦の合意。にもかかわらず、サヘルの住む国境付近では、空爆が続いていまいた。

1989年2月下旬のある日、町がイラク軍の攻撃にあいました。「一瞬、何か大きな光と音を感じた……」サヘルは、崩れた町の瓦礫の下敷きになりました。空爆から4日目、ボランティアとして医療スタッフに加わっていた女性に発見されて、瓦礫の中から生還しました。4歳の時のことです。イラク軍の空爆によって町が全滅し、故郷の町は消滅しました。サヘルは瀕死の重傷を負い、家族を失いました。だから、自分が生まれた正確な日時も、本名も知りません。

背中には、大きな傷が残りました。

いままでどう生きてきたか、なぜ生きているのか、これからどう生きるのか―――、この背中の傷を見ることで自分の中の原点に返ることが出来るのです。この傷は、私にとって大切な拠り所であり、生きて行くうえでもっとも重要なもののひとつなのです。この傷をずっと失いたくない。(『戦場から女優へ』より)

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瓦礫の中からサヘルさんを救い出したボランティアの女性が、のちにサヘルの養母になったフローラです。この出会いがなかったら、現在のサヘル・ローズはありません。二人の運命を決める出会いになりました。フローラは、テヘランの上流階級で裕福な家庭に育ち、空爆のないテヘランで平穏な日々を過ごしていました。「一人暮らしのフローラのアパートは、お城のように美しかった」と書かれていました。大学4年生で心理学を専攻し、博士になることを目指していたのに、イランのイスラム革命によって大学が閉鎖されてしまっていました。学んだことを生かしたいと考えて参加した医療ボランティアでした。

フローラの側から見れば、サヘルを救出し、孤児になって自分を慕う彼女を「見捨てることが出来なかった」ことで、想像もしなかった苦難の人生を歩むことになってしまいました。

孤児院にいた5才のサヘルを引き取り、それが原因で、フローラは両親から勘当されてしまします。

1993年フローラは、日本の婚約者を頼って来日することにしました。8歳になっていたサヘルは、日本の小学校に入学しました。結局アパートから追い出されて、お金のないふたりは公園でのホームレス生活を経験します。

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このふたりの困窮を、見過ごすことが出来なかった人がいます。「第2のお母さんとの出会い」とサヘルは言っています。小学校の「給食のおばちゃん」が声をかけてくれたのです。おばちゃんは、事情を聞いて、フローラに就職と住む場所を紹介し、放課後はサヘルを自宅によんで、風呂と食事をふるまってくれました。大人になって、「どうして助けてくれたのか」と尋ねるサヘルに、おばちゃんはこう答えています。

「あのころ私は離婚していて、ひとりで娘を育てなければならなかったの。あなたたちを見て、とても人ごととは思えなかった。だから、どうしても何かをしてあげたいと思ったの」(p83)

 

「どこの誰かではなく、目の前の一人の子どもとして信じてくれた。信じてもらえると人は強くなれる」

おばちゃんに、信じてもらったことで、サヘルは強くなりました。

しかし、小6から中学では、過酷ないじめを受けました。きっかけは、サヘルのお誕生会でした。貧しいお母さんがやっと用意したささやかなケーキでした。

「サヘルの家の誕生日ケーキは半分のバナナオムレツだったよ」

「イランはいらん」「見るな、ばい菌」「こっち向くなよ!タオルが腐るだろう」

こんな風に書かれています。

「とにかくあのころは、イラン人はみんな悪いというイメージがあり、何かが起きると「イラン人のサヘルの仕業じゃないの」と疑われる…イラン人がみんな悪いという間違った考えは、同じ国の人間として絶対に許せなかったし、とても悲しかった。」

理科の実験のために、やっと用意したバラを男子に踏みつけられるようなこともあって、「私の心は、つぶされたバラのようにボロボロになりました。」と書いています。でも、フローラには一言も言いませんでした。

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サヘルの心に残るフローラの言葉です。

たった一度だけ、「二人で死ぬ?楽になる?」と手を取り合ったことがあるそうです。フローラが仕事を失い、サヘルが一人でいじめと戦っていたころです。

「でも、私は生きている理由、生かされている理由を知りたかった。何かがあるからこそ、私はこれまで生きることが出来たに違いない。その何かとは、いったい何なのか、私は知りたい。

 さらに、わたしを思いとどまらせたもう一つの理由は、母でした。見方を変えれば、私は彼女の人生をボロボロにしたのです。つらいからと言ってここで死んでしまえば、母にいい思いをしてもらうチャンスは永遠に失われます。・・・母には将来幸せになってもらわなければならないのです。」

フローラの言葉と、存在そのものがサヘルを支えたのです。

その後、サヘルは、園芸高校・大学に進学します。サヘルにきちんとした教育を受けさせたいというのが、博士になることをあきらめたフローラの強い望みであり、サヘルの意志だったからです。人との出会い、チャンスとの出会いの中で芸能界に入り、現在につながっていきます。

 

サヘルは、いじめの中で、本当の自分を封印して生きていたが、高校で変わった。と言っています。きっかけは、先生の言葉でした。

「いつもひとりね。どうして、自分からみんなに話しかけないの。・・・せっかくいいキャラクターを持っているのだから、それをもっと出しなさい。自分らしく生きなきゃだめよ。考えてもみなさい。世の中の全員があなたを好きになるということはありえないでしょう。たった3人でもあなたを好きになってくれる人が現れれば、それでいい」

 

家族も故郷も失って、たったひとり生かされている理由をずっと考えて生きていました。サヘルを支えたのは、先ほど紹介したフローラの言葉です。

「サヘル、あなたは空爆で両親を失い、孤児院で育ったけれど・・・一人だけ生き残ったということは、何か意味があるはず。自信を持ちなさい。」

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「たった一人の生き残りで孤児院育ちの私が、母に引き取られて日本に来て、いまこうして表現する側、伝える側の人間として仕事をしている―――私が生かされている理由はそこにあります。

たぶん私は、伝えるために行かされたのです。」

と考えるようになりました。

「・・・日本の若い人たちにも感じてもらいたい。戦争の慎の悲惨さを伝え、さらにその子どもたちが語り継ぐことで、やがて平和な世界が訪れると、私は信じています。」

とも書いています。

「戦争、孤児院、そういう体験をしている子供はたくさんいるけれども、それを伝えられる人間は少ない。自分の体験を正確に語ることで、救いの手を待っている子供に目を向けてほしい、手助けしてほしい。」と考えているのです。自分が女優として有名になることは、自分の声を多くの人に届けることにもつながると考えてもいます。

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この本の出版から10年がたちました。12月19日の神奈川新聞の記事です。藤沢市での講演会の記事です。10年たった今、サヘル・ローズは、自分の考えを実行しています。

 

また、別の記事によると、イランに児童養護施設をつくろうと考えているそうです。「今ある施設の多くは大人になって自立するための教育が不足している。テロリストが最も恐れる武器は「教育」。イランで再会した先生と一緒に学校をつくる計画を進めている」のだそうです。

この記事では、サヘルは「難民」についてこんな風に言っています。「例えば、現代社会で流れる『難民』のニュース。いろいろな報道をされ、いろいろな見方があるけれど、国を出たくて難民になっている人はそういない。逃げることでしか生きられない。一人一人がどうしてそうなったのか。その人の背景に目を向け、その人の声に耳を傾けてほしい」とあります。

 

私たちにできることは何でしょうか? まず、サヘル・ローズのように、どんなことがあっても置かれた場所で「自分らしく精一杯生きること」。そして詩にあったように「伝えようとする声」に気づくこと。その声に耳を傾け、自分が知ったことをさらに伝えていくこと、それが今、私と皆さんにできることだと思います。