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2019年11月 7日 (木)

《中学1年》  総合 平和学習

11月1日 中学1年生では、第五福竜丸展示館の学芸員市田真理さんの講演会を行いました。11月8日の一日研修で展示館を訪問するための事前学習です。

 

毎年、中学1年生は、第五福竜丸の元乗組員大石又七さんと市田さんのお二人に来ていただいて、お話をうかがってきました。今年は、大石さんの体調から市田さんだけのお話になりましたが、大石さんからのメッセージを交えながら話して下さいました。

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東京都立第五福竜丸展示館は1976年6月に開館しました。館内に展示されている船体は、1967 年には廃船処分となり、ゴミの処分場であった「夢の島」の埋立地に放置されていました。1968年3月10日に、朝日新聞に「沈めてよいか第五福竜丸」の投書が掲載され、第五福竜丸は、市民の運動によって、ビキニ水爆実験の生き証人として保存されることになったのです。

 

1954年3月1日、マーシャル諸島ビキニ環礁で、アメリカの水爆実験が行われました。広島型原爆の1000倍の破壊力を持つ水爆ブラボーがさく裂しました。

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爆心から160キロ東方で操業中だった第五福竜丸の乗組員は、西の空に閃光を見、地鳴りのような爆発音を聞きました。やがて「死の灰」が降り注ぎ、乗組員23人全員が被爆してしまいました。

2週間かけて焼津に帰港した時、乗組員には急性放射能症の症状が出ていました。入院した大石さんの隣のベッドで、久保山愛吉さんが「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」という言葉を残して9月23日になくなりました。

 放射能汚染されたマグロは水揚げされて市場に出ましたが、築地で検査されて地中に埋められました。

マーシャル諸島の人々も大きな被害を受けました。ビキニ環礁の住人は今も故郷に戻ることもできません。

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大石さんは、退院後、誤解から生じた偏見から逃れて、東京へ出ました。大石さんが思い出すことも嫌だった体験を話すことになったのは、中学生に話してほしいと頼まれたからです。

市田さんは、「私にできる唯一のことは、忘れないこと、語り伝えること」とおっしゃっていました。市田さんの語り継ぎ部宣言です。

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最後に、大石さんのインタビュー映像を見ました。

「死の灰を浴びた時、少しも怖くなかった。それは、知らなかったから。学ぶこと、知ることは生きる力を身につけることです。自分や家族を守るための力をつけることです。どうか、真剣に勉強して下さい。」とおっしゃっていました。その言葉は、大石さんからのメッセージとして、私たちの心に深く刻まれました。

 

≪生徒の感想から≫

今日の話を聞いて市田さんの熱い思いが伝わってきました。また、たくさん新しい情報を知って、これだけ本を読んだり体験された方の話を聞いたりして学習しても知らないことはまだまだあるのだなと思いました。私は市田さんや久保山さんが私たちに残してくれたメッセージに感動しました。まず久保山さんの「原水爆の被害者は私で最後にしてほしい」このようなことを死ぬ直前に考えられるのはすごいなと思いました。他人を気遣うやさしさに感動しました。市田さんは、「忘れないこと、学ぶこと、自分で考えること、伝えることが大切だ」とおっしゃっていました。私はこの言葉に納得しました。「学ぶ」以外の3つのことも同時進行していかなければ意味がないのだと。この4つがそろって初めて定着していくのだな、これはすべてのことに共通することだと思いました。私は久保山さんの言葉を大切に、市田さんの言葉を常に意識しながら生活していくことを心掛けたいです。