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2020年5月15日 (金)

2020年5月17日 神奈川学園創立記念日に寄せて

2020年5月17日 神奈川学園創立記念日に寄せて

神奈川学園中学・高等学校長 大石圭子

 

毎年、創立記念日の前に放送朝礼でお話をしてきました。今年の創立記念日は、それができません。私たちは、新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言下の休校という、数か月前には思いもよらなかった事態の中にいるからです。生徒の皆さんに、文字と写真で「創立記念日のお話」を届けたいと思います。

 

1914年(大正3年)4月13日、神奈川学園中学・高等学校の前身である横浜実科女学校が、横浜市南吉田町に開校しました。この日から数えて、今年で創立106年になります。

5月17日を創立記念日としているのは、第二次世界大戦の横浜大空襲で焼け落ちた校舎が再建され、復興祭が行われた日が、1949年5月17日だったからです。「第二の誕生日」ともいうべき日を永く記憶にとどめるために、この日を創立記念日と決めました。

校舎が沢渡の地に建築されたのは、横浜大空襲の27年前の1918年(大正7年)のことでした。これが、完成当時の校舎の全景です。手前に階段が見えます。ここが、現在も残っている唯一の場所です。

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1918年当時の『学校時報』を見るとこんな記事がありました。

〇世界的感冒

この間に、恐るべき世界的感冒は日本全国を襲ひましたが、多くの学校は一時休校のやむなきに至りました。本校もその襲ふところとなりましたが、しかし他校に比べるとはなはだ緩慢かつ軽症で全体としての数も少のうございました、これは本校の位置がよくて空気が清浄なのと、全生徒が毎日神奈川停車場から学校まで八町の道を往復して適度の運動をやっているのに基づくものと思はれます。あるいは落成式のために忙しくて、その方に身を入れたため、風邪の神が遠慮していたのだともいへませう。

 

「恐るべき世界的感冒」というのは、今から100年前の「スペイン風邪」によるパンデミックのことです。神奈川学園の校舎が沢渡に建ったこの年に、日本でも大流行しました。神奈川学園も休校したようですが、幸い罹患者が少なかったようで「落成式で忙しくて風邪の神様が遠慮したのだ」とのん気な分析をしています。本当に幸運だったのだと思います。

 

当時の新聞記事です。

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(東京日日新聞 1918.11.8.)

(「口覆(マスク)を着けて通学する東京の女学生」東京朝日新聞 1920.1.12.)

 

 

 

 

 

 

 

     

当時の医療では、「ウイルス」の存在自体が分かっていませんでした。結局、日本では45万人の命が奪われました。これを今の人口に換算すると120万人に及びます。1920年が過ぎると自然に流行が収まりました。2回の流行のピークを経て、多くの人が免疫抗体を獲得したからです。

当時の内務省衛生局が出した「流行性感冒予防心得」には、咳をする人に近寄らない、人のたくさん集まる所に立ち入らない、マスクを着用する、などということが書かれていました。病人の隔離も指示しています。マスクの生産が追い付かなかったという話もあります。デマや流言飛語の記録も残っていて、そういうところは今とあまり変わりがありません。違うのは、グローバル化による感染拡大の加速と医学の進歩です。今は、ウイルスが特定され、治療薬やワクチンの開発が急がれています。私たちに求められているのは、「新しい生活様式」によって、急速な感染拡大を防いで時間を稼ぐことです。始業式でお話した通り、私たちが休校し外出を自粛していることは、誰かの命を守っていることなのです。

 

もう一つ100年前になかったのは、インターネットです。デマの拡散は、途方もない規模になりました。今、「感染者への激しい中傷」が問題になっています。新聞記事によると、ネットによるデマの拡散によって、感染者本人だけでなく友人やその勤め先までが被害にあって、警察が立件を視野に入れて情報を集めているそうです。今は100年前以上に、ウイルスの次にやってくる「恐怖」に飲み込まれてデマを拡散してしまわないように「正しい情報を見極める目を、自分の中に持つ」ということが、大事です。

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デマへの対処ということでは、私たちは創立者佐藤善治郎先生のエピソードを思い出すことができます。

1923年に起こった関東大震災の直後に、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人が来襲する」というようなデマが広がり、日本人によってたくさんの命が奪われるという悲惨な事件が起こりました。

この時、神奈川学園に避難してきた人たちの中にも、もちろん朝鮮の人たちがいました。善治郎先生は、デマを信じた人たちに「朝鮮人を出せ」と脅されても、それに応じませんでした。『学校時報』の記録によると、避難者の中にいた大学生から「只今、保土ヶ谷方面から朝鮮人約千人来襲の報知がありました。急いで防御の準備を」といわれた時も、「それは誤報だ」と言って取り合いませんでした。「言語不通の彼らは、食事にも困るであろう。くるとすれば、食物を探してくるので、我々は食事を分け合って与えてやろうではないか」と言ったそうです。善治郎先生は、震災の後にやってきた「恐怖」に飲み込まれることなく、冷静に合理的な判断をして人の命を守ったのです。

私たちも、今こそ、情報をうのみにせずに「どこかおかしくないか」「別の見方はできないか」と自分の頭で考えて判断する力を持ちたいと思います。