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学園日誌

2019年1月17日 (木)

高校69回生 新成人を祝う会

114日成人の日に、「高校69回 新成人を祝う会」が行われました。

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成人式を終えて、晴れ着姿の卒業生が、「祝う会」会場のカフェテリアに集まり、華やかな、希望に満ちた笑顔がそろいました。

 

校長先生はじめ、旧担任団の先生方から、お祝いの言葉がありました。

学年の約9割の人達が参加して、旧交を温めた楽しい時間は、あっという間に過ぎてしまいました。

アンネ・フランクパネル展

ギャラリーで、アンネ・フランクパネル展がスタートしました。

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アンネ・フランクが、隠れ家で暮らさねばならなくなったのは、何故なのか?

ナチスドイツによるユダヤ人の迫害はどのようなものだったのか?

 

「アンネの日記」からわかる隠れ家の日常生活や、日々の思いを知ることができます。

是非、多くの生徒のみなさんに、見てもらいたいです。

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先週の金曜日に、中学一年生有志のお手伝いで、パネルを設置することができました。お手伝いのみなさん有難うございました。

 

アンネのバラ

カフェテリアの前に、「アンネのバラ」が植えられています。

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アンネのバラは、「アンネの日記」に感銘を受けた育種家ヒッポリテが、自分の作り出した交配種の中で一番美しいバラを「アンネの形見」として捧げたものです。アンネの父オットーの家の庭に植えられました。

 

神奈川学園のアンネのバラは、文化祭の学習で訪れた広島の『ホロコースト記念館』から、株分けされたものです。今は冬姿ですが、春には、淡いピンクのかかったイエローの花を咲かせます。

 

 

2019年1月15日 (火)

高大連携企画・映像制作ワークショップを受講しました

2019年1月13日(日)に東京工科大学八王子キャンパスにて、神奈川学園生向け特別講座「中高生にもできる映像制作ワークショップ:私も CG 映像作家になれる!」を実施しました。このワークショップは東京工科大学の高大連携企画のひとつで、メディア学部菊池司教授と菊池研究室の協力を得て実施され、今回は中学 1 年生から 3 年生まで計 8 名と教員 2 名が参加しました。

ワークショップでは、大河ドラマの背景や演出に大量にCGが使われていることなど、豊富な例とともに映像の仕組みや理論を中学生でも理解できるようにわかりやすく解説いただいたあと、ブルーバックによる実写撮影と CG 映像素材(背景画像や映像効果クリップなどを菊池研究室の学生さんが事前に制作してくれました)をクロマキー合成(映像の背景色を透明化して背景や映像効果と合成する手法)することにより、オリジナルの合成映像を制作するという課題に取り組みました。

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作業でわからないところは菊池研究室の学生さんがすぐサポートしてくださり、中学生でも安心して制作ができました。参加した中学生はもちろん、教員も大変楽しく初めての合成映像制作に取り組むことができました。

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Magiceffect_2画像をクリックすると動画が開きます Cimg46542  

この連携企画では今後、今回体験した映像制作をベースにして、映像や CG のさらなる理論的な部分の解説、およびデザイン的な要素の授業や、映像・CG 制作に必要となるソフトウェアの実習、映像コンテンツ制作に欠かすことのできない「プロジェクトマネージメント」に関する学習なども実施する予定です。

早い段階からこのような体験をすることで、身近な映像コンテンツがどのように作られているかを知るだけでなく、生徒自身が作り手や発信する側になれるということを学ぶことができました。また、学校で勉強する数学や理科、美術などすべての教科の学びは実際に自分が鑑賞しているアニメや、いつも遊んでいるゲーム作りにも活かされ、繋がっていきます。このようにクリエイティブな活動を通じて学校での学びの意味を実感することで、毎日の学習も少し違った気持ちで取り組むことができるようになることを願っています。

東京工科大学メディア学部ブログ記事へのリンク:菊池司教授によるワークショップレポート

2019年1月 8日 (火)

2018年度 3学期 始業式

1月8日に、3学期の始業式が行われました。校長先生から、お話がありました。

 

今日から3学期です。みなさん、冬休みは、どんな風に過ごしましたか? 新年には、「今年こそは」という目標を立てましたか? 3学期は学年のまとめであると同時に、新しい年度への助走期間でもあります。是非、それぞれに「今年こそは」と期するところをもって始めたいと思います。……

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上級生のみなさんは、この人を覚えていますか? これは、2017年11月27日に、この場所で講演して下さった安田菜津紀さんです。……その安田さんが、先月12月10日に、一冊の本を出しました。『あなたと、わたし』という詩集です。サヘル・ローズさんの詩と、安田さんの写真で構成されています。

 

3編だけ、紹介します。

最初の詩は、陸前高田市の奇跡の一本松。

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空がないている  地球が叫んでいる

誰も気づかない  それとも  気づかないフリ

泣いているのはアナタ  叫んでるのもアナタ

気づこう、  この声に。

モールス信号は今日も、  送られてきている。

ね、聞こえない?  ね、聞こえようとしてない?

ね。ね。ね。

 

2つ目は、シリア北部ロジャヴァの子どもたち。

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聞こえてる?

この声、アナタには、  きこえていますか?

生きているんだ、  ここで。

わたしは生きてる。

 

3つ目は、岩手県盛岡市。

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人生は悲しみの一滴から、  新たな生命を生み

山々は小さな岩から  うまれてくる

わたしはアナタの視線から、  生まれてきた。

 

この詩集を読んで、私は、詩を書いたサヘル・ローズという人を「もっと知りたい」と思いました。サヘルさんが自分の娘とほとんど同じ年で、同時代を生きていることも思いました。それで、10年前に彼女が書いた本を読みました。『戦場から女優へ』という本です。

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サヘルさんは、1985年、イランのクルディスタンの近くにある、国境に近い小さな町で、極貧の家庭に11人兄弟の末っ子として生まれました。イランイラク戦争の真っただ中です。

1980-1988 イランイラク戦争は、イラクがイランに攻め込んで始まりました。宗教的な対立と、ペルシャ湾の石油資源を巡る対立とを背景に始まった戦争です。1979年イラン革命が起きたことが引きがねになったと言われています。この時は、アメリカがイラクに軍事援助しました。この戦争に複雑な利害関係が絡んで、世界情勢を不安定にしました。

1988年8月20日国連安全保障理事会決議により、停戦の合意。にもかかわらず、サヘルの住む国境付近では、空爆が続いていまいた。

1989年2月下旬のある日、町がイラク軍の攻撃にあいました。「一瞬、何か大きな光と音を感じた……」サヘルは、崩れた町の瓦礫の下敷きになりました。空爆から4日目、ボランティアとして医療スタッフに加わっていた女性に発見されて、瓦礫の中から生還しました。4歳の時のことです。イラク軍の空爆によって町が全滅し、故郷の町は消滅しました。サヘルは瀕死の重傷を負い、家族を失いました。だから、自分が生まれた正確な日時も、本名も知りません。

背中には、大きな傷が残りました。

いままでどう生きてきたか、なぜ生きているのか、これからどう生きるのか―――、この背中の傷を見ることで自分の中の原点に返ることが出来るのです。この傷は、私にとって大切な拠り所であり、生きて行くうえでもっとも重要なもののひとつなのです。この傷をずっと失いたくない。(『戦場から女優へ』より)

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瓦礫の中からサヘルさんを救い出したボランティアの女性が、のちにサヘルの養母になったフローラです。この出会いがなかったら、現在のサヘル・ローズはありません。二人の運命を決める出会いになりました。フローラは、テヘランの上流階級で裕福な家庭に育ち、空爆のないテヘランで平穏な日々を過ごしていました。「一人暮らしのフローラのアパートは、お城のように美しかった」と書かれていました。大学4年生で心理学を専攻し、博士になることを目指していたのに、イランのイスラム革命によって大学が閉鎖されてしまっていました。学んだことを生かしたいと考えて参加した医療ボランティアでした。

フローラの側から見れば、サヘルを救出し、孤児になって自分を慕う彼女を「見捨てることが出来なかった」ことで、想像もしなかった苦難の人生を歩むことになってしまいました。

孤児院にいた5才のサヘルを引き取り、それが原因で、フローラは両親から勘当されてしまします。

1993年フローラは、日本の婚約者を頼って来日することにしました。8歳になっていたサヘルは、日本の小学校に入学しました。結局アパートから追い出されて、お金のないふたりは公園でのホームレス生活を経験します。

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このふたりの困窮を、見過ごすことが出来なかった人がいます。「第2のお母さんとの出会い」とサヘルは言っています。小学校の「給食のおばちゃん」が声をかけてくれたのです。おばちゃんは、事情を聞いて、フローラに就職と住む場所を紹介し、放課後はサヘルを自宅によんで、風呂と食事をふるまってくれました。大人になって、「どうして助けてくれたのか」と尋ねるサヘルに、おばちゃんはこう答えています。

「あのころ私は離婚していて、ひとりで娘を育てなければならなかったの。あなたたちを見て、とても人ごととは思えなかった。だから、どうしても何かをしてあげたいと思ったの」(p83)

 

「どこの誰かではなく、目の前の一人の子どもとして信じてくれた。信じてもらえると人は強くなれる」

おばちゃんに、信じてもらったことで、サヘルは強くなりました。

しかし、小6から中学では、過酷ないじめを受けました。きっかけは、サヘルのお誕生会でした。貧しいお母さんがやっと用意したささやかなケーキでした。

「サヘルの家の誕生日ケーキは半分のバナナオムレツだったよ」

「イランはいらん」「見るな、ばい菌」「こっち向くなよ!タオルが腐るだろう」

こんな風に書かれています。

「とにかくあのころは、イラン人はみんな悪いというイメージがあり、何かが起きると「イラン人のサヘルの仕業じゃないの」と疑われる…イラン人がみんな悪いという間違った考えは、同じ国の人間として絶対に許せなかったし、とても悲しかった。」

理科の実験のために、やっと用意したバラを男子に踏みつけられるようなこともあって、「私の心は、つぶされたバラのようにボロボロになりました。」と書いています。でも、フローラには一言も言いませんでした。

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サヘルの心に残るフローラの言葉です。

たった一度だけ、「二人で死ぬ?楽になる?」と手を取り合ったことがあるそうです。フローラが仕事を失い、サヘルが一人でいじめと戦っていたころです。

「でも、私は生きている理由、生かされている理由を知りたかった。何かがあるからこそ、私はこれまで生きることが出来たに違いない。その何かとは、いったい何なのか、私は知りたい。

 さらに、わたしを思いとどまらせたもう一つの理由は、母でした。見方を変えれば、私は彼女の人生をボロボロにしたのです。つらいからと言ってここで死んでしまえば、母にいい思いをしてもらうチャンスは永遠に失われます。・・・母には将来幸せになってもらわなければならないのです。」

フローラの言葉と、存在そのものがサヘルを支えたのです。

その後、サヘルは、園芸高校・大学に進学します。サヘルにきちんとした教育を受けさせたいというのが、博士になることをあきらめたフローラの強い望みであり、サヘルの意志だったからです。人との出会い、チャンスとの出会いの中で芸能界に入り、現在につながっていきます。

 

サヘルは、いじめの中で、本当の自分を封印して生きていたが、高校で変わった。と言っています。きっかけは、先生の言葉でした。

「いつもひとりね。どうして、自分からみんなに話しかけないの。・・・せっかくいいキャラクターを持っているのだから、それをもっと出しなさい。自分らしく生きなきゃだめよ。考えてもみなさい。世の中の全員があなたを好きになるということはありえないでしょう。たった3人でもあなたを好きになってくれる人が現れれば、それでいい」

 

家族も故郷も失って、たったひとり生かされている理由をずっと考えて生きていました。サヘルを支えたのは、先ほど紹介したフローラの言葉です。

「サヘル、あなたは空爆で両親を失い、孤児院で育ったけれど・・・一人だけ生き残ったということは、何か意味があるはず。自信を持ちなさい。」

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「たった一人の生き残りで孤児院育ちの私が、母に引き取られて日本に来て、いまこうして表現する側、伝える側の人間として仕事をしている―――私が生かされている理由はそこにあります。

たぶん私は、伝えるために行かされたのです。」

と考えるようになりました。

「・・・日本の若い人たちにも感じてもらいたい。戦争の慎の悲惨さを伝え、さらにその子どもたちが語り継ぐことで、やがて平和な世界が訪れると、私は信じています。」

とも書いています。

「戦争、孤児院、そういう体験をしている子供はたくさんいるけれども、それを伝えられる人間は少ない。自分の体験を正確に語ることで、救いの手を待っている子供に目を向けてほしい、手助けしてほしい。」と考えているのです。自分が女優として有名になることは、自分の声を多くの人に届けることにもつながると考えてもいます。

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この本の出版から10年がたちました。12月19日の神奈川新聞の記事です。藤沢市での講演会の記事です。10年たった今、サヘル・ローズは、自分の考えを実行しています。

 

また、別の記事によると、イランに児童養護施設をつくろうと考えているそうです。「今ある施設の多くは大人になって自立するための教育が不足している。テロリストが最も恐れる武器は「教育」。イランで再会した先生と一緒に学校をつくる計画を進めている」のだそうです。

この記事では、サヘルは「難民」についてこんな風に言っています。「例えば、現代社会で流れる『難民』のニュース。いろいろな報道をされ、いろいろな見方があるけれど、国を出たくて難民になっている人はそういない。逃げることでしか生きられない。一人一人がどうしてそうなったのか。その人の背景に目を向け、その人の声に耳を傾けてほしい」とあります。

 

私たちにできることは何でしょうか? まず、サヘル・ローズのように、どんなことがあっても置かれた場所で「自分らしく精一杯生きること」。そして詩にあったように「伝えようとする声」に気づくこと。その声に耳を傾け、自分が知ったことをさらに伝えていくこと、それが今、私と皆さんにできることだと思います。

2018年12月28日 (金)

《高校1年》 家庭科

2学期、高校1年生の家庭科では、食に関わる様々な問題を、社会的な視点を持って学び、レポートを各自まとめ、発表しました。調理実習では、学びの流れを受けて3回の実習を行いました。

 

<献立>

「豆腐作り」

国産有機大豆で手作り豆腐。

わかめのサラダを簡単ゆずドレッシングで頂きました。

卯の花・おからクッキーも作りました。

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「ウインナー作り」

ひき肉に香辛料・お好みでローズマリー・氷を加えてこね、ウインナーを作りました。

無農薬・無化学肥料で育てられた野菜を沢山使って、ポトフとサラダも作りました。

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「ピザ作り」

ファストフード?みたいなメニューも案外簡単に、美味しく作れます!というテーマで、国産小麦を使いピザとかぼちゃのスープを作りました。

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2018年度2学期 終業式

 12月22日に、100周年記念ホールで終業式が行われました。終業式では、教頭先生からお話がありました。

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 今日で2学期が終わります。

 来年は「平成」という元号が新しい元号に変わる、という意味では社会的に一つの節目と言える「2学期」かもしれません。また、みなさんが今受けている「教育」という側面だけを見ても大きく変わりつつある大学入試やその制度など、大きな節目にさしかかろうとしています。

 このように大きく変わっていく時代にあって、必要なのはどのようなことでしょうか。

 

 そのことを考えるうえで、一冊の本をご紹介しようと思います。

 『「ふつうのおんなの子」のちから』という本です。生命科学者の中村桂子さんという人が書いた本です。

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 「ふつうのおんなの子」って、何だろう?

 中村さんは、まず「ふつう」についてこんなふうに言います。

「『ふつう』も面倒な言葉です。変わり者はいけないのですかとか、障害者を排除することになりませんかとか、次々に問いただされそうです。そんなことではありません。ひとりひとりがあるがままを楽しむ、その生きかたを『ふつう』と考えるので、誰にでもふつうがあるのです。やたらに権力を求めたり、過剰な競争をしたり、差別意識が強かったり……そんなことなしに家族や友人や地域の人々など、日常接する人との毎日を大切にする生きかたです。そもそも生きものには、これが標準という規格はありません。どこを探しても、この人が人間の基準という人はいません。逆に考えると、ひとりひとりが人間の代表と言ってもよいわけです。

 これはとても大事なことです。私たちは機械に慣れているために、つい何にでも基準があり、そこからはずれたものは価値がないと考えがちです。自動車はどのお店で買ってもみんな同じ。しかも、それは設計図どおりの完璧で正常なものでなければなりません。

 でも、生きものは違います。ひとつひとつ、みんな違うものです。」

つまり人間の「ふつう」は「ぜんぶ違う」ということです。そう考えると、面白い定義ですね。

この後、筆者は、DNAについて触れます。私たちの細胞の中にあるDNAには、塩基と呼ばれる小さな分子が三十二億個も並んでいること、その三十二億個の分子の中には必ず「間違い」が含まれていること、つまりは私たちが存在するということはどこかにうまくいかないDNAを抱えているわけで、その意味では程度の大小はあれ、必ず人は障害を抱えていること、だから実は「正常」と「障害」という明確な区別があるわけではないということ、私たちは誰もが明日交通事故で大けがを負う可能性があるわけで、それをカバーしあうのは人間全体、社会全体であること。これらは、人間を「生きもの」として見ていくとおのずと生まれてくる見方であること……筆者はこういう見かたで生きることを「ふつう」と言っています。

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もう一つ、「おんなの子」も不思議と言えば不思議です。なぜ「男の子」でも「女の人」でもないのだろう? 

これはまあ、言ってみればレトリックなのですが、社会では大人になればなるほど「男らしく」とか「女らしく」とか「社会人らしく」とかいう規制が増えていきがちです。そして、社会からは「富」とか「名誉」とか「権力」とかが価値であるように言われます。

そういえば先日、2018年の「ジェンダーギャップ指数」が発表になりました。2017年、日本が何位だったか覚えていますか? 144か国中114位でした。今年は、少し順位が上がりました。149か国中、110位。……まあほとんど変わらなかったというほうが正しいのでしょうが、日本はまだまだ国際的にみると社会における男女平等が進んでいない、ということなのだと思います。そして、この「男性的な価値観」で運営されている社会に対して、そういう価値観から自由で、自分らしく生きている人の象徴として筆者は「おんなの子」という言葉を使っています。ですから、自分らしく生きていれば、「男の子」であっても、大人であっても「おんなの子」だと筆者は言います。

要するに社会の既成の価値観にとらわれずに、自分なりの考えを持ち、本質を見極めながら生きている人を、筆者は「ふつうのおんなの子」と呼んでいるわけです。

で、筆者はその「ふつうのおんなの子」の生き方の典型をさまざまな文学、中でも児童文学の中に、見出していきます。『赤毛のアン』や『あしながおじさん』『ハイジ』『モモ』果ては『堤中納言物語』まで紹介していくのですが、・・・・・・読書、とくに良い本を読むということは、いつの時代にも新たな発見があるものですね。

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ところで、「ふつうのおんなの子」という言い方で紹介しましたが、「ふつうのおんなの子」が「自分らしく、本質を見極めながら生きている人」とするならば、みなさんはこの2学期こうした人たちにたくさん出会ってきているはずです。

全校でお会いしたのは、図書委員講演会で来校してくださったお二人とも性別では「男性」ですが、先ほどの定義で言えば「ふつうのおんなの子」の生き方をしている人たちです。……「標準的」とは決して言えないでしょうが、自分の興味のあることをとことん突き詰める生き方そのものを、むしろ社会の方が認めた、というのが正しいのかもしれません。

お二人だけでなく、文化祭や秋に行われた各学年の行事の中でもみなさんは社会のさまざまな方にお会いをしました。その中でみなさんが「素敵な生き方だな」と思った方が、何人もいらっしゃったのではないでしょうか。それこそが社会の中の狭い「こうあるべき」という価値観にがんじがらめにならずに、自分が大切にしたいことを守りながら生きている方々――大人になっても、この本の言葉で言う「ふつうのおんなの子」であり続ける人なのではないかと思います。

そして、現代のように大きく時代が変化していく中にあって大切なのは、周囲の声に必要以上に左右されることなく、「自分らしく、本質を見極めながら生きていくこと」なのではないかと感じます。

 

さいごに、もう一度中村さんの言葉を紹介しましょう。

「拡大・成長を続けてきた人間の活動が、地球という有限の星では支えきれないほど大きくなったために、いわゆる地球環境問題が起きているのですが、社会の中心にいる人々は、それらは技術の力で解決すればよいと考え、ますますの経済成長によって富と権力を増大させようとしています。

このような社会からはずれる人は弱者と呼ばれ、病人・障害者・子ども・老人などが該当します。女性もそこに入っています。……子供でなかった人は、ひとりもいません。一生の間、一度も病気にかからない人もいないでしょう。今日、なにかの事故で障害を負わないとも限りません。老人も、年を重ねれば誰もがなるもので、そのために体に故障が出てくるのは避けられません。こう考えると、これらはすべての人の状態であり、強者と弱者、健常者と病人や障害者というように区別するものではないわけです。ましてや差別など、ありえません。……このことに気づいたのは、1964年の東京オリンピックの後、高度経済成長を求めて働き盛りの男性を中心とする社会となり、子どもはよい会社に入って大いに働くために、よい学校へ入ることを目的として勉強する存在になったときです。子どもは子どもとして生きることが大切なのに。そこでは働き終えた人も大切にされません。一生を大切にしたい。……年齢や性別にかかわらず、あらゆる人があらゆる時をいきいきと暮らす社会を思い描いて、教育・労働・家庭などのありかたを懸命に考えたことを思い出します。」

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今紹介した中で、勉強に触れた部分がありましたが、もちろん、ここで中村さんは「勉強すること」自体を否定しているわけではありません。そもそも中村さん自身、勉強して生命科学者者になったわけですから。むしろ、学ぶことをほんとうに突き詰めていくと、中村さんのような見方――人に対して優しく、自然や科学に対して謙虚になっていくのだなあ、と思います。自分なりに、「こういう生き方がしたい」「こういう社会を実現したい」と思って、そのために勉強することはまさに中村さんの言う「ふつうのおんなの子」の生きかたです。

現在の社会は「富と権力」が志向されると筆者は指摘していますが、そういう社会の不十分な部分を変えていくことのできる人こそ、「ふつうのおんなの子」ということになるでしょう。――つまり、みなさんです。

中村さんはこうしたことを1964年の「東京オリンピック」のころに考えた、と言っています。それから50年以上たち、しかし、社会の価値観が大きく変わったとは言えません。そして2020年には2度目の東京オリンピックが開かれます。この2度目のオリンピックをみなさんは見守ることになるでしょうし、中には関わる人もいるかもしれませんね。中村さんが問題意識をもった東京オリンピックから2度目のオリンピックがめぐってきて、そしてそれが何らかの契機になって社会が変わっていくとしたら、いえ、みなさんが変えていけるとしたらそれも素敵なことだと思います。そして、そういうことを実現するためには、社会のこと、社会の構造、世界の仕組み、問題点――そうした「本質」をしっかりと見抜く力が必要です。そこにこそ、学ぶことの本当の意味があります。

 

少し大きな話になりましたが、この秋みなさんは、「どう生きるか」「どういう社会を実現するか」という「生き方」を考えるヒントをたくさんの人からいただいたと思います。

これから始まる冬休み、ふだんよりは落ち着いて考える時間もあることでしょう。ぜひ、この2学期をゆっくりと振り返ってみてください。

高3の多くのみなさんは、もちろんこの冬休みはそれどころではないでしょう。でも、今、学んでいること、それ自身が、世界をよりよく変えていく礎になります。そして今日お話ししたことを、頭の隅っこにおいておいて、受験がひと段落したところでぜひもう一度考えてみてください。

それでは年末年始、慌しい期間に入りますが、健康に留意して、新年にまた元気な顔で登校してください。

 

 

 

 

最後に、活躍したクラブ・団体の報告がありました。

 

≪高校≫

高校書道

山田ののか 神奈川県高等学校教育書道コンクール 奨励賞

野原有夏  神奈川県高等学校教育書道コンクール 奨励賞

小泉真名  神奈川県高等学校教育書道コンクール 神奈川新聞社賞

 

書道部

岡村涼音  国際高校生選抜書展(書の甲子園) 入選

中須春佳  神奈川県高等学校書道展  優秀作品

古舘花   神奈川県高等学校書道展  特選

浅野万裕子 神奈川県高等学校書道展  特選

コーラス部  関東合唱コンクール 銀賞

高校バトントワリング部   バトントワリング関東大会 金賞を経て

              バトントワリング全国大会 銀賞

生物部  神奈川県高等学校理科部研究発表会  出場

高校新体操部  神奈川県高等学校新体操新人大会 女子団体  第4位

 

≪中学≫

中学卓球部  神奈川県私立中学校卓球大会 団体の部 準優勝

  坂本ひさぎ 神奈川県ジュニアオープン卓球大会 第3位

コーラス部  関東合唱コンクール 銀賞

中学バトントワリング部  バトントワリング神奈川県大会  出場

文芸部  三好真由  全国文芸サイエンスコンクール 旺文社赤尾義男記念賞(入選)

 

《高校1年》 国内FW 奈良・京都方面

《1日目》 遺跡から古代の生活を想像する旅

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 新横浜駅7:30に全員集合。8時過ぎの東海道新幹線で京都駅へ。さらに、近鉄特急に乗り換えて、橿原神宮駅に向かいました。車中で昼食の「京都 舞妓はん 特選弁当」をいただきつつ、さっそく古都の雰囲気を味わいました。

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 橿原神宮駅で奈良をガイドしてくださる山﨑さんと河野さんと合流しました。毎年お世話になっているベテランガイドさんです。はじめに「甘樫丘」に登り、飛鳥の全体を見渡しました。大和三山の香具山・畝傍山・耳成山もきれいに見ることができ、特徴的な形と名前を一生懸命覚えていました。

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 遺跡めぐりのはじめは「水落遺跡」です。これは中国の先進的な技術を取り入れた中大兄皇子(のちの天智天皇)が、水時計をつくった跡だと伝えられています。さっそくどんな水時計だったのかを想像してみました。次は、蘇我馬子の発願によって建てられた「飛鳥寺」に向かい、左右で表情の異なる「飛鳥大仏」を拝観しました。また、除夜の鐘で有名な鐘も、大きな音が出ないかと恐る恐るついてみました。

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 「亀形遺跡→酒船石→板葺宮跡→川原寺跡」と遺跡めぐりが続きました。これは一体何に使われていたのだろう、こんなに大きな石をどうやってこの山の中に運んだのだろう…と不思議な石造物に想像がかき立てられます。中でも最後に訪れた「石舞台古墳」は蘇我馬子の墓と伝えられていますが、「石舞台」という名称から、ここを舞台に音楽を奏でたり舞いが舞われたりしていたのだろうかと想像が膨らみました。

 

《2日目》 奈良の大寺院をめぐる旅

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 朝一番に訪れたのは「法隆寺」です。西院伽藍は最古の木造建築として知られており、回廊の柱や五重塔の細部まで丁寧に見学しました。また東院伽藍の「夢殿」にある救世観音立像は、長年秘仏だったものを明治初期に岡倉天心とフェノロサが発見したことでよく知られています。聖徳太子の姿とも伝えられるこの像が、幸運なことに特別に公開されていました。

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 次は、鑑真和上が開いた寺として知られる「唐招提寺」を訪れました。多くの苦難を経て盲目になりながらも来日を果たした鑑真和上に思いを馳せました。昼食は「たまゆら」で奈良の名物である柿の葉寿司の御膳をいただきました。その後は「平城宮跡」を訪れ、当時の都の大きさを体感することができました。

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 「東大寺」では、まず南大門の金剛力士像の迫力に驚かされました。とにかくあらゆるものが大きく、大仏殿の大きさ、そして中の大仏には圧倒させられるばかりでした。それらの大きさから当時の権力がとてつもなく強いものだっただろうと想像しました。神のお使いである鹿とふれ合う時間も設けられましたが、想像以上に大きく怖々と近づいていました。この日の最後は、藤原氏の氏寺である興福寺を訪れました。つい先日、中金堂が落慶されて話題になっている寺院ですが、国宝館では人気の高い阿修羅像を見ることができました。

 

《3日目》 京都で伝統文化を体験する旅

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 京都と言えばこちらというほど代名詞ともなっている、「金閣寺(鹿苑寺金閣)」を訪れました。9時の開門と同時に入りましたが、多くの観光客であふれていました。外国人観光客も多く、国際的な観光都市京都を象徴している風景でした。金閣寺の敷地は広く、後方の山も登り約1時間の散策となりました。

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 続いて、禅寺である大徳寺大仙院で座禅体験をしました。足を組むことから苦労しましたが、深い呼吸をしながら静寂の時を過ごしました。終了と同時に30分座禅をしていたことを告げられると、「あっという間だった」と驚きの声が次々と聞こえてきました。その後は、大和宗貴住職を囲んで、法話をうかがいました。また、大徳寺は臨済宗の寺院であることからお茶も有名で、抹茶をいただいてほっと一息つきました。この日の昼食は大徳寺内にある「泉仙」で精進料理をいただきました。こちらの料理は「鉄鉢料理」と言われ、全ての料理をいただくと器を一つにきれいに重ねることができます。

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 午後は、今年度新たに取り組んだ「京町家の再生と活用」を学ぶプログラムを体験しました。まず、「京都市景観まちづくりセンター」を訪れ、京都のまちづくりと京町家についてレクチャーを受けました。その後は、3つのグループに分かれて実際の京町家を訪れて様々な体験をしました。写真は「きっさこ和束」を訪れたグループの様子です。約100年前に建てられた京町家が空き家になっていたところを、カフェとしてリノベーションしたお店です。古き良き伝統を感じられる空間の中で、現代的な抹茶アートを体験しました。その他には、「奈良屋記念杉本家住宅」で学芸員の杉本歌子さんから京町家での豊かな生活の様子についてお話をうかがったり、造り酒屋を営む「キンシ正宗 堀野記念館」では桃の井の水を試飲させていただいたりしました。

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 夕食後はホテルで和菓子作り体験をしました。「京菓子司よし廣」の職人さんに丁寧に教えていただきながら、秋らしい柿といちょうを作りました。最後に職人さんの技を見せていただきましたが、和菓子のみかんが本物のように皮がむけたのには、大きな歓声が起りました。

 

《4日目》 古い時代の仏教、密教を知る旅

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 「天台宗総本山 比叡山延暦寺」を訪れました。この日は、長年お世話になっている名物ガイド名越さんと一緒にめぐりました。カーブのきつい山道をバスで登り終えると、眼下に琵琶湖が広がりました。延暦寺に到着するとあいにくの天気で想像以上の寒さでしたが、その分、今年は遅いと言われていた紅葉がきれいに見られました。「根本中堂」は修復工事中で建物の外観を見ることができませんでしたが、工事の足場から修復作業の様子が見られたのは貴重な体験でした。本来ならば東塔を見学した後に西塔まで足を運ぶ予定でしたが、悪天候のため急遽コースを変更し、市内の三十三間堂を訪れました。

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 午後は「東寺」の名で親しまれている真言宗の根本道場「教王護国寺」を訪れました。はじめに大日堂で法話をうかがい、身近な高校生の話から日常生活を見直すきっかけになりました。また境内をめぐり、立体曼荼羅で有名な講堂内は特別拝観の時期にあたり、通常は正面からしか拝観できない仏像を後方からも見ることができました。また、五重塔も特別拝観で初層の中をみることができ、貴重な体験となりました。

 

 4日間のプログラムは、どれも古き良き日本文化を感じられるものでした。事前に教室で学んでいたことも、現地を訪れると文化財がどのような空間の中に存在しているのかがわかります。そうした文化を私たちが体験できるのも、継承してきた人々がいたからこそのことです。日本の伝統文化をいかに継承し現代の私たちの生活に活かすのか、過去と現在とをつなげる壮大な歴史の時間軸の中に位置付くプログラムだったと振り返ることができます。

《高校1年》 国内FW 岩手・宮城方面

【1日目】

朝7時過ぎに東京駅に集合でしたが、余裕をもって全員が早めに到着し、意欲の高さがうかがえます。新幹線で岩手県の新花巻駅に到着した後、バスで沿岸の釜石にある陸中海岸グランドホテルに向かい、昼食の海鮮丼をいただきました。一息ついてから、震災時に大きな被害を受けた大槌町の町役場の震災遺構を訪問しました。おらが大槌夢広場の神谷さんから、当時の大槌町の様子を詳しく聞きながら、遺構を訪れる外部の人に対する町の人たちの複雑な思いを知り、これから始まる4日間の研修が、自分たちにとっても覚悟を要するものであるという自覚を持つことが出来ました。町役場の前で黙とうを捧げ、後、防潮堤や湾の様子についてお話をうかがいながらバスで大槌町を巡りました。

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町の文化交流センターの会議室をお借りして、神谷さんから、震災当時の様子を詳しく聞きながら、ワークショップを受けました。5,6人のグループに分かれて、個人としての答え、グループとしての答えを出していくものでしたが、最初に与えられた課題は「自分は大切な人と一緒にいま津波から逃げています。でもその大切な人は足をけがしてもう歩けません。あなたはその手を放しますか?」というとても重いものでした。そのような極限状況を想像して泣き出してしまう人も多くいましたが、当時は同じ決断を一瞬のうちに下さなければならなかった人もいたのだと実感し、その後の震災学習に対する取り組み方を大きく変えるものになりました。

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【2日目】

バスで釜石駅に向かい、三陸鉄道南リアス線(震災学習列車)で盛駅に向かいました。車内では、ガイドさん自身の体験談や、それぞれの湾の特徴や震災時のことについて詳しくお話をうかがいました。トンネルと湾が交互に繰り返され、リアス式海岸の様子を実際に感じることができました。

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陸前高田に移動して、ガイドの菅野コハルさんから様々なお話を聞きました。まず陸前高田の広田湾を一望する高台に建つ普門寺に向かいました。立派な杉の巨木の参道、静寂な佇まいの庭や三重塔など、見どころの多いお寺です。敷地内には震災の犠牲者の鎮魂を祈り、高田松原の倒木を使って長野市の善光寺が制作した親子地蔵や、五百羅漢が置かれていました。本堂には震災で亡くなって引き取り手のない無縁仏となった方の遺骨が7年経った現在もまだそのまま置かれていました。その後も、バスで市内を走り、奇跡の一本松や気仙中学校を見ながら当時の様子を伺いました。

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その後、陸前高田の市役所に向かいました。市役所はまだプレハブの仮設庁舎で、震災の傷跡の深さがうかがえます。市役所では市の復興局長である熊谷さんからお話をうかがいました。津波にのまれて屋上を残すだけの市役所の写真にある人影をさし、「これが自分です」とお話される姿を見て、こうしてお話をしてくださる方々もそれぞれ過酷な経験をされたのだと改めて身にしみました。津波で行政機能が完全にマヒした状態から、復興計画を立て街づくりを進めていく様子や、人口減少への対応に苦労されていることがよくわかりました。生徒が人を呼ぶためにどういう取り組みをなさっていますか、と質問したときに、逆に「どうしたらあなたはこの街を訪れてくれますか?」と問い返され、その難しさに気づくという場面もありました。

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2日目最後は、宿泊先のホテル観洋の伊藤さんからお話を頂きました。ホテルは震災時に2階まで浸水しましたが、おかみの先導のもと従業員と一緒に被災した方々を、マニュアルにとらわれず臨機応変に対応されたお話をうかがいました。印象に残ったのは、お世話をしすぎない自立を促すような支援をされたことや、何かあったときにリーダーシップをとれる人になることの大事さを学びました。

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【3日目】

午前中は、ボランティア活動で漁業のお手伝いをしました。浮きについたフジツボなどの貝類を取り除く作業と、ホタテを入れるためのカゴ編みをしました。3時間ほどの作業でしたが、天気にも恵まれ、漁師さんの気さくなお人柄もあり、楽しみながら作業することができました。一方、ここでも人手不足の問題を肌で感じ、東北沿岸部の人口減少問題の深刻さを感じました。

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午後は、ホテル観洋の伊藤さんから南三陸全体の語り部ツアーをして頂きました。特に震災遺構である高野会館では、普段立ち入りのできない建物内部まで案内していただき、津波の威力を実感することができました。また、人を呼び込むための高速道路がストロー現象によって、逆効果をもたらすおそれがあることや、実際に経験しないとやはり本当のことはわからない、でもこうして自分たちの経験を伝えることで、多くの人に「命を守る」ことの大切さを知ってもらいたいというお話が印象に残りました。

その後、気仙沼のリアスアーク美術館に向かいました。この美術館では東日本大震災を未来に伝える展示を行っています。200点以上もの写真、150点以上の被災物それぞれに小さなコメントがつけられていて、ひとつひとつのモノにはそれぞれ人の営みがあったのだなと思い知らされました。

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夜は、翌日のプレゼンのために各グループでスライド作りをしました。それぞれ与えられた問いに対して、今回のフィールドワークを通じて学んだことを生かし、自分たちなりの答えを出していきます。盛りだくさんの内容に、なかなかうまくまとめられず予定していた時間をオーバーして班で話し合いをしていました。

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【4日目】

午前中はさんさん商店街を訪問し、会長の阿部さんからお話を頂きました。商店街がモノを売り買いする場というだけではなく、人々の再会の場として機能したお話や、職住一体だった生活が、職住分離になっていろいろな問題があることなど、それまで考えもつかなかったお話をうかがいました。お話の後は、それぞれ買い物と昼食の時間を取りました。海産物で埋め尽くされたキラキラ丼を食べたり、ご当地キャラクターのオクトパス君を購入したり、思い思いに楽しんでいました。

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午後は、東北大学の藤本先生に、これまでの学習の成果を聞いて頂きました。生徒たちは、震災遺構、盛り土と復興、地域経済と産業などについて全部で6つのグループに分かれてプレゼンを行いました。この4日間、様々なお話を聞いたり、体験をしたりしてきましたが、短い期間では消化しきれないほどの多くのことを学ぶことができました。あまりに多くのことを学び過ぎて十分に消化しきれなかった部分もありましたが、藤本先生には生徒の発表に対するコメントを頂くとともに、問題解決のヒントとなるようなお話をうかがいました。

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長いようであっという間だった4日間、今回お話をしてくださった方みなさんがおっしゃっていたのは「自分の命を守ることが大切な人の命を守ることにつながるのだ」ということです。いつどこで大地震が起こるかわからない日本で生きる私たちですが、今回のフィールドワークで学んだことを、自分で生かすのはもちろんのこと、身近な人に伝えて共有していくことの大切さを学びました。

今後、生徒は今回の体験を踏まえて、最終レポートを仕上げていきます。

《高校1年》 国内FW 四万十川方面

FW四万十方面では四万十川に沿って海へ向かって移動をしながら、森・川・海などの自然と人がどう関わって生きているのかを学びます。また、民泊体験などを通して現地の文化を学ぶとともに、「過疎化」という社会問題にも向き合う研修です。

 

<1日目>

羽田空港から高知空港に到着すると快晴で気持ちの良い空が広がっていました。そのあとはまず高速をバスで移動です。四万十川財団事務局長の神田さんに同乗していただきながら、高知県の魅力をお話していただきました。

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しばらく走ると道の駅あぐり窪川へ到着です。ここでは地元の素材を使った豚丼をいただきました。道の駅の駅長さん、料理長からご挨拶と料理の説明をしていただいて、いざ実食!本当に美味しくて30人の生徒が全員完食をしました。

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次に大正地区で四万十町森林組合の林さんと廣田さんからお話を伺いました。そのまま放っておくのが自然保護ではなく、自然を守るために手入れをしてあげることが、大切だと学びました。その際に出てくる間伐材を加工して、「四万十ヒノキ」というブランド化していくまでの加工現場を見学しました。また、実際に原材料となる木材の生えている森へ入っていき、間伐をすることで日が入り森が豊かになっていくことを肌で感じました。

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道の駅「よって西土佐」へ行き、大高さんという方に講演をしていただきました。なぜ四万十へ移住してここで働こうと思ったか、というお話から始まり、さらには現地で暮らしているからこそ感じる問題を生徒に伝えていただきました。本当に便利になっていくばかりの一方で失われていくものは何だろうか…。生徒たちは自分の暮らしと照らし合わせて気付かされたものがあったようです。そのあとに少しだけお土産タイム!

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そして、1日目の宿舎である四万十楽舎へと。もともと小学校だった施設を改修した宿泊施設です。生徒たちはどこか懐かしい小学校の音楽室や図書室などに大盛り上がりでした。夕食後、道の駅「よって西土佐」ではたらく林さんと平野さん(みっちゃん)の登場です。今でこそ道の駅「よって西土佐」駅長を務めている林さんはずっと四万十川で漁業組合長をされていた方です。これまでどこか他人事のように「地方の問題」を捉えていた生徒たちも、実際に話していくうちに「これは他人事ではない」と感じるようになったようです。現地に行って、現地の人と話すことが本当に大切なのだと感じました。

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<2日目>2日目は四万十川と触れ合う1日です。

四万十川流域にはどんな生物が生息しているのか、それを実際に川に入って探してみました。川の水を抜くテレビ番組などで見たことがあっても、実際に体験をしたことのない生徒もおり、みんな必死になって生き物を捕まえていました。様々な種類の生き物を捕まえて、最後に一つひとつを解説していただきました。

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そして四万十川の名物である沈下橋へ移動してお散歩タイムです。実際に沈下橋を渡ってみると、天気に恵まれたこともありものすごく気持ち良かったです。生徒たちは写真を撮ったり、浅瀬で水遊びなどをしていました。本当に水が澄んでいて、橋の上から魚群が確認できるほどでした。

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たくさん動いたあとはお昼ご飯です。この日は屋形船に乗って、四万十川の上でいただきました。船内では川エビ漁師さんのお話を伺いました。鮎や手長えびの入ったお弁当を美味しくいただき、また屋形船から見える四万十川の景色を楽しみました。本当に水が澄んでいて、船の上からも川の底が見えるほどでした。

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午後は、四万十学遊館に移動し生き物探しゲームや放棄水田の見学を野外で行った後、室内で朝からお世話になっている杉村さんの講演会でした。四万十の生態系を守るためにしていること、必要なこと。そして視野を広げてこれから地球環境保全のために必要なことなどを考えることができました。ここでも、自然を守るということは放置することではない、という考え方が出てきました。生徒たちは中学2年のころに行った小網代の森への研修と結びつけて考えることができていたようです。

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2日目の宿は「いやしの里四万十の宿」です。豪華な夕食、部屋、そして露天風呂付きの大浴場に生徒たちは感動していました。夕食後には砂浜美術館理事の村上さんから講演をしていただきました。ビーチコーミングという考え方に初めて触れて、それがすごく心に残っている生徒が多かったようです。「砂浜に落ちているゴミを美術品として捉えて楽しんでみよう」という発想は本当に素敵だなと生徒たちは感動していました。講演の中では実際に砂浜に流れ着いた作品を手にとって見せていただきました。翌日に砂浜に実際に行ってビーチコーミングするのが楽しみになりましたね。

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<3日目>

午前中は「水探し(ムカシトンボのヤゴ探し)」から始まりました。なぜヤゴを探すのかというと、ムカシトンボのヤゴはきれいな水(人が飲める水)の川にしか生息できないので、このヤゴが見つかればそこは飲める安全な水と考えられるからです。前日の生き物探しで慣れたのか、生徒たちは水の中へとドンドンと進んでいき、ヤゴを含む様々な生物を見つけていました。

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海の方へと向かって移動をし、砂浜に行ってビーチコーミングをしました。前日に教わった「砂浜の楽しみ方」をもとに生徒たちは、ライターやハンガー、様々な「作品」を見つけていました。

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お昼は黒潮一番館でいただきました。ここではカツオのたたき体験をしていきます。カツオを丸々一匹さばいて、燃える藁で燻し、そしてお皿に盛り付けて完成です。

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午後は、天然塩づくりの体験です。いくつかの塩づくりの作業を体験させていただいた他、工程ででたにがりを用いての豆腐をつくり塩をつけていただきました。受け入れてくれたソルトビーの方々が生徒の名前入りの瓶を用意してくれており詰め放題の塩のお土産も!いつも食べている塩とは違って、おいしい!と感じるお塩でした。

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そして3日目はいよいよ民泊体験の日です。ホストファミリーとの緊張の対面を果たし、それぞれのお宅へと向かいました。それぞれのお宅では自分たちで薪をくべて五右衛門風呂を準備したり、裏の沢で生き物をとってきたり、一緒に地元の料理を作ったりと、現地の生活を体験させてもらいました。

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<4日目>

朝に集合場所へと向かい、最後に記念撮影をしてお別れです。たった一泊でしたが、本当にお世話になりました。「大学生になったらまた来ます」という生徒もいました。その後は「いよめし」という高知の郷土料理を食べて、最後に高知大学へと向かいます。

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高知大学では地域協働学部で教壇に立つ森先生と田中先生が迎えてくれました。ここでは5人ごと6つのグループに分かれ、この4日間のFWを1枚の模造紙にまとめたものをもとにプレゼンを行いました。その後高知大学の方々から質問や補足説明をして戴きながらこの4日間で学んできた様々な事を今一度考えることができました。自分たちの中のものをまとめて発表することで、これまで感じたこと考えたことを整理し、新たな疑問を持つことのできた深い時間となりました。

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生徒たちは四万十の研修で、環境の問題や社会的な問題など様々なことを学んで帰ってきました。しかし最も学んだことは「現場に出て学習することの大切さ」でした。どんどん便利になって何でも調べられる時代だからこそ、実際に現地に足を運んで学ぶことで、どこか他人事のように思っていたことを自分のこととして捉えられるようになりました。これから事後学習に入ります。一人ひとり自分なりのテーマや問題意識を、さらに深めていく学習へと続いていきます。それらの土台となるような充実した研修でした。

2018年12月26日 (水)

《高校1年》 国内FW 沖縄方面

1日目

 朝早かったにもかかわらず、研修の楽しみと緊張からか、眠そうな雰囲気は全く感じさせない集合となりました。事前学習も万全な状態で、現地でのたくさんの学びを期待しつつ、自ら学ぼうとする決意とともに出発しました。

 沖縄は11月でも27℃(体感的には30℃)と大変暑く、同じ日本だろうかと思うほどでした。今日と明日の2日間をガイドしてくださる川満さんと瀬戸さんに挨拶し、バスで那覇空港から普天間基地を見渡せる嘉数高台へ行きました。普天間飛行場は普天間市の中央にあり、民家やビルが周りを取り囲む状態でした。米軍機からの落下物問題や騒音問題などを考えながら見学しました。また、京都の塔には慰霊の意味だけでなく、平和を望む言葉が刻まれており、戦争とは何かという問題を投げかけられた思いでした。普天間基地にオスプレイが待機していたため、予定にはありませんでしたが、フェンス越しに見学しました。なかなかできない体験でした。

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 佐喜眞美術館では丸木位里さんと俊さん作の「沖縄戦の図」を鑑賞しました。絵でありながらその圧倒的な現実感と迫力は、戦争は終わってもその悲惨さを芸術の視点から残していく意味を考えることができました。

 嘉手納基地周辺にある安保の丘で、騒音問題についてお話を聞きました。何度も頭上を通る輸送機や戦闘機にガイドさんの声も遮られ、騒音問題の実際を知ることができました。

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2日目

 この日は沖縄戦を学びました。八重瀬公園は白梅学徒隊の手術場壕跡がある場所です。手術とは名ばかりの処置しかできなかったことや、なんでもない坂道には当時負傷兵の食事を運びながら、いつ着弾するかわからない恐怖と戦った学徒がいたことを聞きました。

 白梅の塔では白梅学徒隊だった中山きくさんのお話を聞きました。中山さんの沖縄戦を実際にお聞きし、戦争が考えていた以上に苦しく、悲惨であることがわかりました。中山さんは「平和のバトンをつなげてほしい」と、生徒グループリーダーの二人と握手を交わしました。

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 ひめゆり資料館では普通の学生が戦争に携わり死んでいったことが膨大な資料とともに書かれており、今戦争がおこったらどうなるのかと考えさせられました。

 糸数アブチラガマは石灰岩地形にできた洞窟で、戦時中は医療と住民の避難所として使われました。しかし、ここでも多くの人が十分な治療ができないまま死んでいきました。じめじめとした洞窟は懐中電灯を消すと真っ暗闇となり、息をするのも苦しく感じました。

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 ホテルに戻ってから、琉球舞踊うどいを鑑賞しました。ゆっくりとした動きの宮廷舞踊で、琉球の文化を楽しむことができました。

 1日目と2日目の研修を振り返って、自分の感想をグループで共有しました。事前学習で学んだ以上に現地の力を感じ、過去のことであっても想像することでたくさんの学びを得ることができました。

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3日目

 この日は自然と文化体験が中心でした。まずはカヌーとビーチコーミングです。カヌー体験はインストラクターの方がわかりやすく説明してくれたため、たくさん楽しむことができました。ジュゴンが来る辺野古の海はとても綺麗で、カヌーからは深さ5mほどもある海底の砂やサンゴが見えました。ビーチコーミングでは貝殻を加工して、思い出を残すことができました。

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 午後は紅型体験で、それぞれ気に入った絵柄に色付けしました。家に帰ってから、のりをとって仕上げです。どんなものが出来たでしょうか。

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 東恩納さんは辺野古の海を守る活動をされてきた方です。埋め立て予定地のフェンス前でこれから何が起ころうとしているのかをお話しされました。辺野古に飛行場ができることで基地問題は改善するのか、土砂が投入されることによる生態系への影響、そもそも本土と沖縄の人々の認識や意識の差など、私たちに投げられた宿題は簡単に答えを出せないものでありながら、それでも答えを出さなければならない苦しさを突きつけられた思いです。

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4日目

 最終日は琉球新報社と首里城の2隊に別れて行動しました。琉球新報社では東江さんと玉城さんがコーディネーターとして、3日間の沖縄での学びを生徒どうしがインタビューすることから始まりました。学んだことを感覚的ではなく、言葉として残すことに難しさを感じたようです。また、沖縄県知事の記事からどんな情報が読み取れるのかを考えました。

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 首里城チームはガイドの横田さんと下地さんとともに史跡の見学を中心に行動しました。世界遺産に登録されている玉陵では琉球王国の大陸との交易の深さと独自の文化について学びました。また、首里城は正殿を塗り直ししている途中でしたが、公園内での戦争の跡や文化、城内の見学をすることができました。沖縄でも有数の観光地ですが、首里城が沖縄戦の要所として使われたことなど、研修でないと知ることができないことも学べました。

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 最後は国際通りで昼食と買い物をしました。沖縄ならではの食べ物やお土産品に満足したようです。4日間とは思えないほど密度の濃い研修を終え、現地でなければ学べないことがたくさんあることがわかりました。これからも沖縄は地上戦があった場所としてあり続け、日本の基地問題の最前線であり続けてしまうのでしょうか。私たちは同じ日本のこととして、沖縄のことを考えていたでしょうか。研修は終わっても沖縄のことは忘れられない、そんな研修になったと思います。

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